【開発のことば】リグレット

2012.10.19a

悔いを残さないかどうか――。「リグレット」(後悔)という視点に立ち、環境対策の是非を考えることがある。

たとえば地球温暖化。世論がこれを「事実」と受け入れる一方で、「人類が出す二酸化炭素(CO₂)は本当に、地球の気温を押し上げているのだろうか」といった懐疑論は常にくすぶっている。科学的に白黒付けるのは難しい。しかしだからといってCO₂削減手段を何も打たない、というのはリスキーだろう。

ではどうするか。そんなときに判断基準となるのがリグレットの概念だ。世の中の認識が仮に間違っていたとしても、後で悔やまない対策をとろうという考えで、温暖化を例に挙げると、自然エネルギーへの転換がこれに当たる。

化石燃料はいつの日か枯渇する。ならばエネルギーセキュリティーの観点から自然エネルギーを普及させよう。そうすれば人為的なCO₂による温暖化が幻だったとしても、別のメリットがあるから後悔することはないというわけだ。

対照的なのが、CO₂を集めて地中に閉じ込める「CO₂回収・貯蔵」(CCS)と呼ばれる技術。莫大な資金と労力を必要とするこのやり方は、CO₂削減効果がいくら大きくても、懐疑論が正しかった場合、すべてが無駄になる危険をはらむ。後悔先に立たずとなるかもしれない。

リグレットの概念は、国際協力・開発の分野にも適用できる。どんなに素晴らしい機械を途上国に供与しても、その使い方や直し方を現地の人がマスターしてくれなければ、数年後に無用の長物と化し、「やらなきゃよかった」と後悔しないとも限らない。箱モノ支援が批判されるゆえんだ。

ソフト支援はどうか。青年海外協力隊の活動を例に考えてみよう。彼らの最大のミッションは、住民に意識改革を促したり、やる気を喚起したりすること。短期間で成果を挙げるのは至難の業だが、こういった内面的なものは一度身に付けば、心の奥にずっととどまる。早い話、リサイクル設備だけを導入しても結果的に使用されずに悔やむかもしれないが、ごみのポイ捨てが減って後悔することはありえない。

最後にもうひとつ。協力隊員は単独で特定の地域に入り、住民と同じものを食べ、同じ言語を話し、場合によっては同じ家で暮らしながら、活動をする。途上国の人たちとの深いかかわりを通して、隊員自身も多くのことを知り、感じ、これまで“見えなかったもの”が見えてくる。こうした学び合いにも、後悔は絶対にない。(長光大慈)