スンニ派とシーア派の宗派対立、「安易な決めつけ」は本質を見過ごす

イスラム教の2大宗派、スンニ派とシーア派。昨今の中東の紛争は、両派間の「宗派対立」として報じられることが多い。一方で、宗派対立という構図はカムフラージュに過ぎず、混乱の根本的な原因ではないとする見方もある。

東京国際大学特命教授の塩尻和子氏は「なぜスンナ(スンニ)派とシーア派は争うのか?」(「季刊アラブ」2014秋号)で、「イラクやシリアの混乱の要因は宗派対立ではない」とし、「宗派に名を借りた政治的覇権や経済的利権闘争となっている」と指摘している。

■共存してきたスンニ派とシーア派

そもそもスンニ派とシーア派は何が違うのか。

全世界のイスラム教徒約16億人のうち、一般的に、約85%から90%がスンニ派、残りがシーア派といわれている。

両派の教義でもっとも異なるのは、預言者ムハンマドの後継者を誰にするかという点だ。スンニ派は、信者の話し合いによって選ばれた人間が後継者になるべきだとし、シーア派は、ムハンマドの血筋を引く人間が後継者になるべきだと主張する。

日常の儀礼や慣行についてはどうか。

元毎日新聞テヘラン支局長の春日孝之氏は、著書「イランはこれからどうなるのか」で「スンニ派はより形式を重んじる」と述べている。

「パキスタンに駐在中、私の周りのスンニ派のパキスタン人はラマダンの断食や礼拝だけではなく、日々の礼拝もかなり守っていた」

「対照的に私が付き合ったイラン人(シーア派)は日常的に礼拝している者は皆無だし、ラマダンでも断食をほとんどしない。イスラム教は『偶像崇拝』を禁じているが、シーア派はほとんど気にかけない」

ただし、コーランやムハンマドの言行の尊重など、イスラム教の根幹となる部分に両派の違いはないという。

BBCなどのメディアも、スンニ派とシーア派は何世紀もの間共存してきたと報じている。

塩尻氏も「宗教的少数派も、基本的な教義から外れさえしなければ、少なくとも宗教上は異端として迫害されることもなく、同じモスクで祈り、ともにメッカ巡礼に出かけ、近所付き合いをして姻戚関係を結ぶこともできた」と説明する。

■「スンニ派サウジ」対「シーア派イラン」

では、いつ頃からスンニ派とシーア派の宗派対立という概念が持ち出されるようになってきたのか。米シンクタンクの外交問題評議会(CFR)は「スンニ派とシーア派の分断」で、1979年のイラン革命以降だと分析する。

革命でイランにシーア派政権が誕生すると、サウジアラビアはワッハーブ主義(スンニ派の一派で、非常に厳格とされる。サウジアラビアの国教)を強め、両国は「覇権争いのために宗派対立を利用してきた」という。

一方、イランはシーア派敵視の「扇動」を批判する。同国の最高指導者ハメネイ師は、国営放送イランラジオで、次のように話す。

「今日、一部の人々が、イスラム世界の各地で、タクフィール主義やワッハーブ派、サラフ主義の名のもとに、イランやシーア派に敵対し、醜い行動を取っている。だが彼らは真の敵ではない。真の敵は、彼らを扇動する者たちである」

イランラジオは「経済的権益や政治的利権のために、外部がイスラム共同体の対立を煽っている」という見解を示している。

5月22日にはサウジアラビア東部州カティフのシーア派モスクで爆弾テロがあり、過激派組織「イスラム国」(IS)が犯行声明を出した。ISはスンニ派の過激派でシーア派を敵視し、サウジアラビア王家を非難しているとされる。

5月29日には同国第3の都市ダンマンでも、シーア派モスクを狙ったISによる爆弾テロが発生した。今回の爆弾テロについて、一部のサウジアラビア人がソーシャルメディア上で「犯行は、サウジアラビア国内のシーア派住民を反政府に仕向けるためにイランが仕掛けたものだ」として、イランを非難しているという。

サウジアラビアの活動家ナシーマ・アルサダ氏は「宗派対立を煽ることを犯罪としないサウジアラビア政府に責任がある」と話している。

■国内情勢や覇権争いに着目すべき

5月22日のサウジアラビアでの爆弾テロについて、ロイター通信は5月23日付記事で「(スンニ派を国教とする)サウジアラビアがイエメンの反政府武装勢力フーシ派(シーア派の一派とされるが諸説あり)を攻撃して宗派対立の緊張が高まっている中で起きた、ここ数年でもっとも悲惨な事件のひとつだ」と報じた。

しかし、異論もある。たとえばアルジャジーラはこれまで「宗派対立が、各国の利益や覇権などの政治的な争いと同じ意味にとらえられ、多くの人が事態の複雑さと本質を見落としている」と指摘してきた。

2015年3月から続くサウジアラビアによるイエメンのフーシ派への攻撃は、サウジアラビアとイランとの「代理戦争」だと報じられることが多い。

フーシ派はイランの支援を受けているとされ、サウジアラビアはイランが中東地域で影響力を高めるのを防ぐために、空爆に踏み切ったといわれている。

しかし、カナダのアナリスト、マハディ・ダリウス・ナゼムロアヤ氏が指摘するように、フーシ派の運動はイエメン国内での弾圧に抵抗するために2004年頃から始まっており、イランの影響からは独立した政治運動だという見方もある。

フーシ派が要求したのはハディ大統領が制定した新憲法案の修正と、フーシ派の政治参加だった。過去にフーシ派を弾圧していたサーレハ元大統領の支持勢力もフーシ派と連携するなど、イエメンの国内情勢は複雑だ。

また、イエメンでは、過激派武装組織「アラビア半島のアルカイダ」(AQAP)の活動にも注意を向ける必要がある。

サウジアラビアは「反イラン」を、王制への国民の不満を反らし、国内をまとめるためのツールとして利用している、ともいわれる。

同国のシーア派は人口の15%で、東部州に多く住む。東部州は産油地帯にもかかわらず、他州に比べて、病院、学校、建物や道路などのインフラが整っていない。以前から、政府に対するシーア派のデモは散発していた。

サウジアラビアの隣国バーレーンは人口の75%がシーア派で、政権はスンニ派。バーレーンでも2011年に「アラブの春」に触発されたデモが起きたが、宗派対立というよりは、抑圧されている民衆が政権に対して、民主化と拘束されている指導者の解放を求めるものだった。

サウジアラビア王室が恐れるのは次のようなシナリオだと指摘される。

同国東部州と橋でつながるバーレーンでシーア派が力をつければ、シーア派の連帯につながり、石油がシーア派のものになり、イランの傘下に入り、ひいてはロシアと中国が力を強め、米国が失速する。そして王制がゆらぐ――。

なお、イランの同盟関係は、シーア派だけとはいえず、例えばレバノンではシーア派のヒズボラだけではなく、ドゥールーズ派(スンニ派の一派とされるが、諸説あり)やキリスト教政党にも及び、宗派的なものにとどまらない。

もはや宗派対立ではなく、政治的な覇権と、石油の利権をめぐる争いが根本にあるといえるだろう。

シリア紛争については、CFRが「シリアのアサド政権を倒すことは、スンニ派にとって、アラブ世界へのイランとシーア派の影響を抑える最後のチャンスだと見る専門家もいる」(イランはアサド政権を支援しているとされている)と述べる一方、エコノミストのウィリアム・エンダール氏は「シリアで起きていることは宗派対立ではなく、シリア・イラン・イラクと、アメリカが支援するカタール・サウジアラビアとの石油・ガスパイプラインをめぐる争いだ」と指摘する。

カタールは欧州連合(EU)へ天然ガスを輸出するために、シリアにパイプラインを通す必要があり、そのためにロシアと友好関係を保つアサド政権の駆逐が必要なのだという。ロシアと中国の弱体化も、アサド政権攻撃の狙いのひとつとされる。

■宗派対立と決めつけない

こうして見ると、それぞれの国が状況に応じ、自国の利益にかなう戦略的な動きを取っており、時には宗派対立を利用しているといえるのではないか。

塩尻和子氏は、歴史の過程で分派間の確執や紛争が生じるのは「政治的覇権や経済的利害問題が背景にある時に限られてきた」と述べ、中東の混乱の要因についても宗派対立にあると「安易に決め付けない」ことが重要だと訴える。

同時に、サウジアラビアの活動家アルサダ氏が指摘するように、宗派対立を「煽らない」ことも重要だろう。