無我夢中でつかみ取った成功、ミャンマー人風刺画家の壮絶な人生

風刺画家の写真ヤンゴン在住のフリーランス風刺画家ウィンピーさん。夜中の12時に寝て朝6時に起きるという多忙な生活を送りながらも幸せに過ごしていると話す

両親との決別、身寄りのいない街(ヤンゴン)での下積み、政府関係者の追手からの逃避――。温厚で優しそうなその表情からは想像できないほどのさまざまな困難を経験しながらも「自身の選択に後悔はない」と語るフリーランスの風刺画家ウィンピーさん(57歳)。23年のキャリアをもつ彼は、政治・社会・気候などの問題にアンテナを張り、グサグサとツッコミをいれていく。

ウィンピーさんは、ヤンゴンの西隣にあるエーヤワディ管区のピィーヤという田舎町で生まれ育った。小さい頃から絵を描くことが大好きだった。将来は絵を描く仕事に就きたいという夢を持ち続けていたところ、高校の先生からヤンゴンで風刺画の大会が開催されると聞き、高校3年生の時、両親の反対を押し切り、親せきも知り合いもいないヤンゴンへひとりで向かった。大会では、結果を残すことはできなかったが、風刺画の楽しさと絵描きへの熱意を再確認し、全てを捨てて見知らぬ都市で自分の人生を切り開いていくと強く決心した。

身寄りも資金もなかったウィンピーさんは、政府が運営する無料のアートスクールを見つけ、そこで3年間学んだ。その後、風刺画家にアシスタントとして弟子入りし、さらに3年間の下積み時代を過ごした。24歳でプロとしてのキャリアをスタートさせたものの、知名度の低さから収入はゼロのときもあった。それでも諦めず新聞社に毎日のように何枚も作品を送り続けた。

数年が経ち、風刺画家としてやっと軌道に乗り始めていく中、彼はまたもや困難に直面した。軍事政権さなかの2000年、土地開発と称して市民の家を容赦なく取り壊す当時の政府を批判した彼の作品が政府関係者に見つかり、ウィンピーさんを捕まえようと追手がかかった。郊外に逃避し、幸運にも見つかることはなかったが身の危険を感じたという。

その後も彼はたびたび、政府関係者からバッシングを受けた。作品を掲載している彼のフェイスブックのページには政府関係者から誹謗中傷の書き込みがされるなど、当時の軍事政権の表現の自由に対する統制をひしひしと実感した。

そんな彼の作品も、民政移管した2011年以降、表現の自由が一気に加速した影響で、今ではどんな風刺画を描いても大きな問題にはならないという。

「誰が正しいことをしていて誰が間違ったことをしているのか、それを市民に知らせるのが僕の使命だ」。そう話す彼は現在、自分の仕事への熱意を理解してくれる妻と2人の子どもをもつ一家の大黒柱だ。地元の新聞社に作品を掲載して月に15万チャット(約1万5000円)稼ぐ。加えて複製画家としても働いており、40万チャット(約4万円)を稼ぐが、それでも風刺画を描く方が好きだと言う。

「将来は自分の個展を開いて、次世代をインスパイアしていきたい」と次なる夢を語るウィンピーさん。高校3年生の時の思い切った決断がなければ今の彼はここにはいなかったかもしれない。