AAR Japanがヤンゴンで運営する「障がい者向け職業訓練校」、二十歳の孝行息子の夢は「親に仕送りすること」!

旅行好きというゾーモーナインさん。フランス・パリのエッフェル塔を見にいつか行きたいと語る

日本のNGO難民を助ける会(AAR Japan)は、ミャンマー最大都市のヤンゴンで「障がい者向け職業訓練校」を運営している。2000年に開校して以来、1500人以上の生徒を社会に送り出してきた。PCコースを現在受講する生徒のひとり、ゾーモーナインさん(20歳)は「お金を稼げるように自立して、農家をしている両親のために働きたい」と話す。

■「自立のための技術が身につけられる」

ゾーモーナインさんは、ミャンマー中部のマグウェで、5人きょうだいの4人目の子どもとして生まれた。先天的に手と足に障がいをもつが、なぜかはよく知らないという。高校入学を機にヤンゴンへやってきた。卒業はできたものの、障がいを理由に就職に失敗。そんな折、新聞広告を見かけたことがきっかけで、障がい者向けの職業訓練校の存在を知る。「ここなら自立するための技術が身につけられる」と考え、入学した。

AAR Japanが運営するこの学校は、生徒に職業訓練だけでなく、就労支援までを無料で行うミャンマー唯一の学校だ。生徒たちは、理容美容・洋裁・PCの3コースに15人ずつ分かれ、3カ月半の寮生活を送りながらカリキュラムをこなす。卒業した後も、インターンシップや就職活動をしながら最大7カ月(3カ月半×2学期)在籍できる上級者向けプログラムもある。その間の学費や寮費はAAR Japanがすべて負担する。この学校の毎月の運営費はおよそ100万円に上るという。

ゾーモーナインさんは2016年8月にPCコースを卒業して、企業の採用面接を2回受けた。だがいずれも不採用。面接に同行したAAR Japanの就労支援担当者は「彼は面接で緊張してしまうタイプ。PCスキルは十分な評価を得たが、面接の受け答えがかみ合っていない部分があった」と残念がる。

ゾーモーナインさんはその後、PCコースの上級者向けプログラムへ応募。2017年1月から再びこの学校へ通う。インターンシップにも並行して参加でき、PCの技術も向上できるため、就職に有利になると考えたからだ。現在も就職活動を続けながら、ビデオ編集の方法やエクセルの計算式の使い方などを学ぶ。「他の学校では教えてくれないコンピューターの技術をたくさん覚えた。寮では障がい者同士が助け合って生活をしている」と嬉しそうだ。

ゾーモーナインさんの日頃の様子を知るAAR Japanの教師は「彼はとても頑張り屋。入学したての頃は、手の障がいのためにタイプをするのも難しかった。でも努力を重ね、今では障がいがない人と同じぐらい早くできる」と太鼓判を押す。

■「障がい者に勇気を与えたい」

PCコースの卒業生の多くは、会社の事務員や電話局のオペレーターなどの仕事に就く。2013~16年までの卒業生のうちAAR Japanがフォローする8人の平均月収は15万7000チャット(約1万5700円)ほど。ミャンマー全体の平均月収7万〜10万チャット(約7000円〜1万円)のおよそ2倍にもなる。

ゾーモーナインさんは自分の将来について「自立して、きちんとお金を稼がないといけないと思っている。卒業後はミャンマーの会社で事務員として働きたい。そこで得た収入で、農家をしている自分の両親を金銭面で助けたい」と語る。いずれはこの学校に戻って教師になりたいという夢を描くゾーさん。「障がい者でも技術をもてば自立できるんだという姿を生徒に見せ、勇気を与えたい」

この職業訓練校の所長を務める中川善雄さん(33歳)は「ミャンマー人の障がい者を取り巻く環境は依然厳しい。法律は十分に整備されていない。職場や公共施設などのバリアフリーも改善が必要だ」と問題点を指摘する。障がい者への差別や偏見も残っている。障がい者が「あなたのように障がいがある人とは話したくない」と言われることもあるという。

中川さんは「AAR Japanの障がい者向け職業訓練校は今まで、日本政府や民間の助成金を受けて運営してきた。しかし継続的な支援を受けるのがだんだん難しくなってきている。多くの人にAAR Japanの活動を知ってもらい、使わなくなった古着やタオルの寄付、チャリティグッズの購入など、できることを通じて支援の手を差し伸べてほしい」と語る。ミャンマー人障がい者の未来を切り開くため、AAR Japanはこれからも活動を続けていく。

職業訓練学校の授業風景(PCコース)。2015年の卒業生の就労率は84%。PCコースに限定すると81%

職業訓練学校の授業風景(PCコース)。2015年の卒業生の就労率は84%。PCコースに限定すると81%