体重わずか42キロのミャンマー女子、軍事クーデターからの4年半で「自分はタフに成長できた」

フリーランスのジャーナリストとして一本立ちを目指すヌウェイさん。すごくタフだね、と尋ねると「悲しくなったら泣く。そのほうがすっきりするから」との答えが返ってきた。タイ・チェンマイの路上で撮影

山に隠れた2日間は水も飲めない

タイへの逃避行は、エージェントから「1日で着くから、身軽な格好で来ても大丈夫」と言われていた。だが実際は3日かかり、しかも死を覚悟するほど過酷だった。

ひとつのエージェントは一度に150~200人のミャンマー人をタイ側に連れていく。3~4人の案内人が付く。エージェントはいくつもあるという。

タイに不法入国した後、ヌウェイさんが使ったエージェントの案内人と別のエージェントの案内人がけんかをし始めた。すると別のエージェントの案内人は突如、タイ警察に電話。パスポートすら持っていない不法入国者を捕まえようと、タイ警察は本当にやってきた。

「やばい」。ヌウェイさんらは一目散に山へ向かって逃げた。懐中電灯をつけると場所がわかってしまうため、真っ暗の山道をひたすら走った。靴は脱げ、裸足で走り続けた。

山の中で2日間、身を潜めた。腕は虫にかまれて痒い。食事もない。水も2日間、口にできなかったという。スポーツドリンク「ロイヤルD」のパウダーを持っていたが、水がないので、ヌウェイさんは一緒に逃げた仲間の口に直接、パウダーを入れていった。

つらかったのは寒さだ。寝たら死ぬ。寝ないよう、仲間で起こしあった。軽い運動をして体を温めた。空腹で力も出ない。「死ぬと思った」(ヌウェイさん)

タイ側に逃れたら、だれかがピックアップしてくれる手はずになっていた。本当に来るのか。ヌウェイさんの心は不安でいっぱいだった。

ピックアップは結局、やって来た。ところがヌウェイさんは誤った場所に連れていかれ、仲間と離れ離れになってしまう。エージェントは翌日、仲間のもとに送り届けてくれた。

「ミャンマーの村に隠れていたとき、国軍の兵士が来るたびに走って逃げた。今から思うとそれがトレーニングになって、タイ側でもサバイブできたと思う」とヌウェイさんは振り返る。

タイに入ってからはラチャブリ県とプーケット県におよそ1年半滞在。そのあいだ、故郷のタニンダーリ管区のさまざまなエリアに電話しては「国軍は来たか」「状況はどうか」などをヒアリングし、それをレポートにまとめ、民主派の武装グループに送っていた。

タニンダーリタイムスで活動し始めたのもこのころからだ。まずは3カ月のインターン。1カ月5000バーツ(約2万2800円)もらえた。

2023年11月、現在暮らすチェンマイへ移った。

自由に生きるいまが一番幸せ

ミャンマーの田舎での潜伏生活、3日間の逃避行、タイでの転々とした暮らし‥‥。「悔いはない」と言い切るヌウェイさんだが、こうも続けた。

「親とずっと離れ離れなのが悲しい。もし母が病気になったらどうしよう。面倒を見てあげられない。自分は親不孝者だと思う」

娘が抗議活動をすることに反対した母とはほぼ毎日、メッセンジャーで話している。「私がやせ細ったことをすごく心配してくれている」。ヌウェイさんがお金がなくて本当に困ったとき、数回送金してくれた。ちなみにタイで暮らすミャンマー人の中には母国の親から送金してもらうケースは珍しくない。

ヌウェイさんに逮捕状が出てタイへ逃亡したことで、故郷の家族に危害は及んでいないのか。

「父が、地元の役場へ行って、娘(私)は『政治的な活動は一切やっていない。あくまで出稼ぎでタイにいる』と説明し、その証明をもらった。(ペナルティのように軍政に毎月、お金を払う家族も多いなかで)お金もまったく払っていない」

20代前半にして壮絶な経験を重ね、ヌウェイさんは少しずつタフになっていった。山あり谷ありだが、“レールに乗らない人生”をむしろエンジョイしている。

楽しみは仕事のやりがいだけにとどまらない。ヌウェイさんはタニンダーリタイムスを辞めた先月から、ギターを始めた。かねてから、近くの山をトレッキングしたり、街中をジョギングしたり、家の近くにあるプールで泳いだりしている。趣味は、部屋をきれいにデコレーションすること。

「軍事クーデターがもし起きなかったら、海洋保全のNGOで働きながら、さまざまなところを旅したかった。仕事は『ジャーナリスト』に変わった。またこの4年間で(想像とは違ったけれど)いろいろ旅できた。(軍政は許せないが)私個人でいえばいまが一番幸せかも」と笑顔をのぞかせる。

自分のバイクにまたがるヌウェイさん。事故にあったとのことで取材に少し遅れてきた(チェンマイで撮影)

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