「自動車レースをミャンマーで開催したい」、46歳・水谷滋氏の挑戦

ミャンマーで自動車整備会社を立ち上げ中の水谷滋氏ミャンマーで自動車整備会社を立ち上げ中の水谷滋氏

F1を頂点とする公式自動車レース。その開催をミャンマーで夢見る人物がいる。水谷滋氏(46歳)だ。45歳を目前にして日本を飛び出すジャイアントステップは、その実現への一歩となった。

水谷氏は関西出身で高校生の頃から学校を欠席してばかり。「バイクで峠を攻める日々」だった。さらにはジムカーナ(自動車を用いて舗装道路面で行われるスラローム競技の一種。タイムトライアルで争う)にも参加するようになり、モータースポーツへの愛は強まっていく。

一方就職は1990年代前半に芽吹いたばかりのIT業界に身を投じ、数年後にバブルは崩壊していたものの、仲間数人とITコンサル企業を立ち上げた。「最終的には仲間との意見の食い違いなどから上手くはいきませんでした。でも全く後悔していません。チャレンジを楽しむ性格なのです」と彼は笑う。起業は2年余りで失敗に終わったが、自分の中で続いていた思いから、次は自動車関連の仕事を選んだ。レンタカー、オートリースの営業を数年経験後、事故を起こした自動車オーナーと修理工場と保険会社をつなぐ仕事に就いた。

40歳を超えたころ、新規で立ち上げる自動車整備会社の責任者をやらないかという誘いが舞い込んだ。日本とミャンマーの合弁会社で、場所はヤンゴンだ。3年間迷った。自身のチャレンジ精神から、最終的にはミャンマー行きを決めた。

決め手は初めて訪れたミャンマーの交通渋滞のクラクションだった。「これだけの数の自動車が走っていればモータースポーツが盛り上がらないわけがない」。彼の直観だ。富裕層の子弟がサーキット代わりに空港を貸し切って自動車レースをした、という噂も彼を勇気づけた。

ミャンマーはもちろん、まだまだ発展途上の国だ。ヤンゴンに来て1年2カ月。修理工場を建設するために基礎コンクリートを打ってもらったら、20メートルの端と端で高さが40センチメートルも違っていた。「慌てて日系の建設業者に工事の再依頼をしましたよ。まだまだ目を離して現地の人だけに任せることはできませんね」。困った顔もどこか楽しげだ。ミャンマーで唯一のカートレース場にも、夢を同じくする友人と一緒に先日足を運んだ。

「私は一部の富裕層だけでなく、車を所有する一般の人も気軽にレースに参加できて、ギャラリーも楽しめる、参加型で楽しいモータースポーツイベントを開催したいと思っています。それはミャンマーの自動車業界の活性化にもつながりますし。最初は小さいイベントから始めて、近い将来、全日本ドライバーや世界のドライバーも招待するなどして、世界合同の大きなイベントにしていきたいです」

46歳といえば、日本の会社員ではそろそろ老後の心配を始める年齢だ。水谷氏のチャレンジは続く。世界的なモータースポーツイベントが、ミャンマーで開催される日もそう遠くはないのかもしれない。