事故に遭い、仕事も失い、引きこもりになったミャンマー人女性、NGO「難民を助ける会」の障がい者職業訓練校が救う

ミャンマー・ヤンゴンでARR Japanが運営する「障がい者のための職業訓練校」に通うノーノートゥさん(22歳)。今は理容美容の上級コースに入れるかどうか合否を待っているところだミャンマー・ヤンゴンでARR Japanが運営する「障がい者のための職業訓練校」に通うノーノートゥさん(22歳)。今は理容美容の上級コースに入れるかどうか合否を待っているところだ

「ただでさえ貧しいのに、事故に遭ってからは職も失い、本当に人生のどん底だった」。そう語りながら左足の生々しい傷跡を見せるのは、ミャンマー・エーヤワディー管区出身のノーノートゥさん(22歳)。そんな彼女にどん底から抜け出すきっかけを与えたのが、日本のNGO「難民を助ける会(ARR Japan)」がミャンマー・ヤンゴン市内で運営する「障がい者のための職業訓練校」だ。

■学校にも行ったことなかった

この職業訓練校では、ミャンマー全土から障がい者が集まって3カ月半の寮生活を送りながら、「理容美容」「裁縫」「PC」の3つのコースのいずれかに分かれ、仕事をするのに役立つスキルを習得する。授業料・寮費はすべて無料。就職率は84%と高い。ARR Japanによると、ミャンマーの障がい者の就職率は15%以下という。

ノーノートゥさんは2013年12月、エーヤワディー管区内で乗っていたトラクターのブレーキが突如効かなくなり、道から転落した。トラクターから投げ飛ばされ、左足に大けがを負った。2度の手術を受けた。

彼女は実は事故に遭う前、精米工場の中でコメを運ぶ仕事をしていた。足が不自由になったため辞めた。「学校にも行ったことがないし」と自信を失い、家で引きこもるようになった。

手術代の大半はミャンマーの公的機関から借りた。ただそれ以外の診療代は自腹だ。今も1カ月に1度、病院に通っているが、その費用は約6000チャット(約500円)。手術代の返済と診療代に加え、きょうだい4人の生活費ものしかかり、ノーノートゥさんの家庭の家計は楽ではない。左足の中には鉄製のプレートが入ったままだ。松葉杖を手離せない毎日を送っている。

■障がいが人生を考えるきっかけに

ノーノートゥさんは事故から2年後の2017年1月、ARR Japanの「障がい者のための職業訓練校」に入った。初めは裁縫コースで学びたいと申し込んだ。しかし彼女は足が不自由で足踏み式ミシンの踏み台を踏めなかったのと、簡単な計算ができなかったため、理容美容コースに振り分けられた。

「特に不満はなかったわ。とにかくなにか1つスキルを身につけ、仕事に早く就いて家族のためにお金を稼ぎたかった」。手厚い先生のサポートのもと、彼女は散髪、髪のセット、メイクなど、基礎的なスキルを短い間で身につけた。

スキルだけでなく、ひきこもりも治った。寮で出会った友だちのほとんどは、ポリオ(全身の筋肉の運動障害)の後遺症に苦しむ生徒たち。「幼い頃から障がいをもつ人や、重い障がいをもつ人と一緒に暮らしているうちに、言葉は悪いが、自分はまだ恵まれていると安心した。私は歩こうと思ったら歩ける。くよくよしている場合じゃない」と希望をもった。

卒業するのは2017年4月。訓練校に入る前と比べると「自分の障がいに対する考えが変わった。学歴もなく、障がいをもつ私は珍しい存在ではないのだ、と他の生徒を知って感じた」と本音をこぼす。今では外出することにも抵抗を感じない。他人の視線も気にならなくなった。

「学ぶ喜びを初めて知った。今の人生に満足せず、もっと上を目指したい」と語るノーノートゥさん。この訓練校は、基本コースの修了生を対象に上級コースも開講しているが、彼女は卒業後に上級コースに進みたいと目を輝かす。「障がいをもつ前は、ただ毎日起きて、工場に行って、働いて、夜遅くに帰ってきて‥‥という毎日だった。障がいをもったことで、自分の将来を真剣に考えるようになった。スキルをもっと磨き、自分のサロンを地元でオープンしたい」

0402岡部さん、写真2

理容美容コースの授業風景。マネキンを使うとお金がかかるため、写真のように生徒やゲストの髪を切ることもある