南スーダンで「駆けつけ警護」は必要か?

1231細川さん、Masaki Inaba (30 DEC 2016)「動く→動かす」の稲場雅紀事務局長

南スーダン派遣の陸上自衛隊に付与された「駆けつけ警護」に対し、批判的な態度をとるNGOや有識者は少なくない。今、この時点での「駆けつけ警護」の権限付与はどんな意味を持つのか。国際協力NGOネットワーク「動く→動かす」の稲場雅紀事務局長は、この問題を考えるうえで重要なのは「南スーダンの独立の背景を知ること」と「『駆けつけ警護の是非』は、国際問題というよりむしろ『戦後日本と日本人にとっての大問題』だと認識すること」の2つだと話す。

南スーダンの独立と日米との関係

南スーダンが独立したのは2011年。その背景には、30年近くにわたる南北の内戦があった。

当時のスーダンのヌメイリー政権は1983年、国内全土にイスラム法を適用した。これに対して、キリスト教徒や現地の伝統的な信仰に身をゆだねる人々の多いスーダン南部から、北部の支配からの解放と革命を求めて「スーダン人民解放運動」(SPLM)が武装蜂起。

その後内戦は泥沼化し、北部中心の政府による過酷な弾圧や、SPLM内部での分裂・抗争などを経て、最終的に、米国の介入と国連の仲介などにより、2005年に南スーダンの独立につながる和平合意が成立した。南スーダンの初代大統領には、SPLMの指導者サルバ・キール氏が就いた。

米国はなぜ、南スーダンの独立に関与したのか。稲場氏は前提として、「もちろん、南スーダンの独立は、国民投票で独立支持派が圧倒的多数を占めたように、南スーダンの人々自身が求めたものであり、SPLMによる長い解放闘争の成果でもある」と述べた上で、米国が和平合意を推進した理由を、次のように説明した。

「90年代以降、『イスラム軍事政権にやられるキリスト教徒』という図式に突き動かされ、SPLMを支援したのが米国のキリスト教保守派だった。2000年代初頭、米国のブッシュ共和党政権は、彼らに背中を押される形でスーダンの和平合意を推進した」

南スーダンの独立後、日本政府はいち早く大使館や国際協力機構(JICA)事務所を設置し、NGOの進出もサポートしてきた。「日本の動きは、米国の思惑に呼応するかのようだった」(稲場氏)

稲場氏によると、日本が南スーダンにかかわる背景には、「日米基軸」を中心とする米国との外交関係があるという。

「自衛隊派兵に反対する意見の中には『南スーダンは日本の安全保障とは関係ない』というものがあるが、そうではない。日本の南スーダンへの関与は『日米基軸』のグローバルな広がりによって説明できる。逆に、南スーダンと同時期に、同様の過酷な分裂と内戦に陥った中央アフリカ共和国に対して日本が何もしなかったのは、『日米基軸』で動く理由が南スーダンにはあり、中央アフリカ共和国にはなかったからだ」

日本政府の主張はご都合主義

駆けつけ警護の是非を考えるうえで問題をややこしくしているのは、日本政府のご都合主義的な主張だ。

稲場氏は「日本政府は、とにかく自衛隊派遣ありきで、その結論に合わせて南スーダンの情勢を都合よく解釈する。ここまでのご都合主義は、日本の行政でもあまり例がない」と苦言を呈す。

代表的な例のひとつが「南スーダンで起きているのは『紛争』ではなく『衝突』だ」とする日本政府の見解だ。

独立後の南スーダンでは、キール大統領と元副大統領のリエック・マチャール氏の勢力が常に対立してきた。マチャール氏は90年代、SPLMから分裂した勢力を率いていた過去がある。「『独立』という共通目標があった時は良かった。だが達成された途端に対立が頭をもたげてきた」と稲場氏は指摘する。

SPLMのジョン・ガラン最高司令官が、2005年の包括的和平合意の直後にヘリコプター事故で死亡した影響も大きい。「カリスマ的指導者だったガラン氏が不在となったことで、キール氏とマチャール氏をはじめ、さまざまな勢力を内包するSPLMの取りまとめが難しくなった」と稲場氏は言う。

南スーダンの独立から2年経った2013年、キール大統領はマチャール副大統領をはじめ全閣僚を解任する。これに対抗してマチャール氏は「SPLM内反対派」(SPLM-IO)を結成。南スーダンは内戦に突入した。2015年にいったん和平合意が結ばれ、マチャール氏は第一副大統領に復帰したが、2016年7月に首都ジュバでキール派とマチャール派が戦闘になり、150人以上が死亡。マチャール派が政権から離脱し、南スーダンは再び内戦に陥った。

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、南スーダンから毎月10万人以上が難民として近隣国に逃れている。稲場氏は「マチャール氏は日本のメディアに対しても、和平合意はすでに崩壊したと明言している。恒常的に続く戦闘行為と膨大な数の難民。南スーダンのこの現状を『内戦』と認識しないのは常識外れだ」と日本政府の見解を非難する。

ご都合主義をやめ正面から議論を

日本政府のおかしな主張はまだある。駆けつけ警護の必要性を説明する際に、現地で活動する日本のNGOの職員の救出を例に出すことだ。

「日本政府は、南スーダンが極めて危険な状態にあることは理解している。外務省の海外安全情報でも南スーダン全土に退避勧告を出しているし、緊急人道支援にあたるNGO職員の派遣にも極めて厳しい態度をとっている。一方で南スーダンへの渡航を厳しく制限しておきながら、『邦人を救けるために駆けつけ警護が必要』というのはご都合主義だ」(稲場氏)

こうしたおかしな議論はなぜ続いたのか。稲場氏は「南スーダンでは停戦合意が覆され、国連平和維持活動(PKO)五原則に照らして、自衛隊派遣が合法とはいえない状況にある。ところが、日本政府はご都合主義の論理を駆使して、無理やり自衛隊派遣ありきの結論に導こうとする。一方、野党もマスコミも、南スーダンは『遠い国』で紛争の中身もよくわからないということで、自信をもって事実を突きつけ、政府に迫ることができなかった」と分析する。

日本人は戦後、日本国憲法に則って、他国での戦争に軍事介入しない、直接殺し殺される関係にはならないという国民合意を形成してきた。駆けつけ警護の是非は、国際問題というより、この「国民合意」の是非を問う問題であり「日本と日本人の在り方を問う」問題だ、と稲場氏は言う。しかし、2015年の安保法制をめぐる議論で、政府はこの国民合意を正面から問おうとはしなかった。

「PKO五原則に引っかからないよう『内戦』を『衝突』と言い換えるなど、日本政府は常にご都合主義の立場をとってきた。ところが、日本では、戦争で死者が出た時に、国家としてどのようにこれに向き合い、弔うか、その国家儀礼の在り方自体が定まっていない。黒を白と言いくるめたまま、南スーダンで戦闘行為に巻き込まれ、相手側や日本側に死者が出た場合、日本政府はどうするつもりなのか。日本政府の『自衛隊派兵』『駆けつけ警護』の実績づくりに、南スーダン内戦が利用されているとすらいえる」と稲場氏は批判する。

駆けつけ警護は、支持する側、また批判する側にとっても覚悟を問う問題だ。南スーダン派遣の自衛隊員は約350人。12月12日に駆けつけ警護の任務が付与されて半月、稲場氏は「『駆けつけ警護』の問題は、日本国憲法の不戦の誓いと、そのもとで日本人が長年かけて培ってきた平和主義の国民合意を反故にする可能性をはらむ。ところが、日本政府はご都合主義の説明でそこをごまかしてきた。日本人は今こそ、『内戦下で戦闘リスクが高い南スーダンに、駆けつけ警護の権限を付与された自衛隊が派兵されている』という現実を直視し、『駆けつけ警護の是非』について正面から考え、行動すべきだ」と訴える。