【環境と開発の接点(4)】地球は誰のもの? “自分”ばかり気にする国民性 ~「オーナーシップ」を考える~

2007.02.01マリパの家はカラフルだ。青や緑、黄色、ワインレッドのペンキが外壁にきれいに塗られている。おしゃれな国民性なのだろう。“自分の家”だから、丹念にメンテナンスをしてカッコ良さを保つ

自分のモノと他人のモノ。無意識のうちに人はこんな区別をする。「所有」の概念だが、実はこれ “物理的”な事実だけでなく、“精神的”な意味合いも含んでいる。考えひとつで、自分のモノと感じる範囲が広がっていく。他人のモノは粗末に扱う。環境問題の根源に迫ってみた。

■ちょっと出歩くのに念入りなおしゃれ

ベネズエラ人は「見た目」をとても気にする。といってもこの傾向はベネズエラだけでなく、途上国では一般的にそうだ。中身より外見。外見はいわば、その人の資質なり、社会的地位を中身以上に表すと考えるらしい。

たとえば服装。みんなが顔見知りの、人口わずか3000人のマリパベネズエラの南東に位置する、私が暮らす村。オリノコ川やエンジェルフォールの近く)でも外出するときには“おしゃれ”に気を配る人が多い。

「いま忙しい? ちょっとさ、仕事をしようよ。環境と病気の関係について医者に話を聞きたいって言ってたじゃん。その打ち合わせをしようよ」

「ちょっと待ってよ。こんなカッコで外を歩けるわけないでしょ」

「ちょっとオフィス(私の勤務先であるベネズエラ環境省マリパ事務所)まで来てもらうだけだよ」

私がこう頼むと、自宅の軒先にいすを出して涼んでいたダレニース・フローレスさん(18歳、高校生)は「30分待って!」と言い、シャワーを浴びに家の中へ入っていった。再び姿を見せたときには、さっきまでの短パン・サンダル姿から、カラフルなスカートに着替えて靴を履き、なんと化粧までしてキメていた。

これは日常の光景。外出といってもたかが数百メートルの距離だ。ゆっくり歩いて5分。日本の感覚に置き直すと、近所のコンビニに牛乳を買いに行くのに近い。

「汚れていないからまあいいや」と、私がきのうと同じ服を着ていたら、「きたな~い!」と大騒ぎ。極めつけは、私がデング熱に罹って死にそうな思いで診療所(医療施設なのに断水中だった)に行こうとしたときのこと。なんとこう言われた。「そのシャツ、なに? よれよれじゃない。アイロンぐらいしなさいよ。ははは」

気にするのはなにも服装だけではない。携帯電話はプラスチック製専用カバーに入れて持ち歩くし、メモリースティック(USB)はひもをつけてネックレスのように首からかける。

いわば、いかに“見せるか”というのが重要なわけだ。見た目の“カッコ良さ”が、その人の価値を決めるから。

話を服装に戻そう。ベネズエラ人は、クリスマスと正月に新しい服を身につける習慣がある。みすぼらしい私の姿を見て、首を横に振りながら友人は呟いた。

「1年の初めの日にそんなカッコじゃ、悲しいでしょ」

■便座の上に小便をする男性職員

「オーナーシップ」(所有権)という言葉がある。途上国開発の世界ではキーワードとしてひんぱんに耳にするもので、「人は誰でも“自分のモノ”は大切に使うが、“他人のモノ”は粗末に扱う」という心理的行動を表す。これは、環境問題の根源・対策を考えるうえでも大きなヒントになる。

たとえばごみ。いわゆる“公共物”である路上や公園は、そうじを何度繰り返しても、「なんでこうなっちゃうの?」と思うほど、いつもペットボトルやビニール袋が散らかっている。“他人の家”の庭に、涼しい顔で道端からごみを放り投げる子どもも‥‥。ところが“自分の家”の中だけは、誰もがきれいにしていて、ごみひとつ落ちていないのだ。

次に公衆便所。私はかねてから「公衆便所の汚さと環境意識の低さは比例する」と考えているが、ベネズエラのそれはたいていの場合、催していた便意が一気に削がれてしまうほど汚い。その気持ち悪さは、日本の駅の便所の比ではない。

マリパ事務所のトイレも、毎日のようにそうじをしない限り、汚い。便座をいちいち上げるのが面倒なのだろう、その上に平気で小便をする男性職員さえいる。お尻を拭いた紙(ラテンアメリカでは便器に紙を流すと詰まってしまうので、その横に置いてある箱に入れるというのがルール)まで床の上に落ちている。オフィスの一室に寝泊りしている私の身にとってみれば、たまったものではない。

その職員の家のトイレは?といえば、ぴかぴかに磨かれているだけでなく、芳香剤で花のにおいまで漂わせていた。もちろん使用済みの紙も散らかっていない。

オフィスにはキッチンもある。それがまた汚い。使った鍋も食器も洗わず、しかも残飯も放ったらかしにしているので、熱帯のマリパでは数日で確実にカビが生える。雨季にはハエが押し寄せ、仕事もままならないほどだ。

さらに、オフィスの周りはごみだらけ。ビールを飲んだら、そのビンとふたはそこら辺にポイっと捨てるのは当たり前。環境に一番配慮すべき環境省のオフィスなのに身の回りの環境さえきれいにできない、という悲しい現実がある。

家の壁はいつもカラフル!でも一歩出ると‥‥

家を見てみよう。

マリパの家はブロックにトタン屋根を載せるだけ、とその作りはいたって質素だが(家は自分で建ててしまう)、必ずと言っていいほどどこの家も外壁にはカラフルなペンキがおしゃれに塗られている。

熱帯のマリパは太陽の日差しが強いし、雨季には激しいスコールにも見舞われる。家も決して新しいわけではない。なのに、ペンキはほとんど剥げ落ちていない。なぜだろう、と赴任当初から不思議に思っていたのだが、その謎はクリスマス前に解けた。

この国にはクリスマスの習慣のひとつに、家の内外の壁を塗り直すというものがあったのだ。特にくすんだわけでもないのに、一家総出で何日もかけて新しくする。壁の色を毎年変えたり、と強いこだわりをもつ人もいるという。“自分のモノ”だからこそ、ペンキ代を捻出し、メンテナンスに手間ひまをかけるのだろう。

“自分のモノ”と“他人のモノ”――その境界線はどこにあるのか。自分の家、いつも通る道、いつも通う学校やオフィス、いつも遊ぶ公園、いつも自分がいる村、自分の村の周りの川やサバンナ、自分の国、自分の地球‥‥。

マリパの住人は所得税も、いやそれだけなく電気代や水道代もまったく払っていない。自分の家は自腹を切って建てるが、自分の村は、オイルマネーが潤沢な中央政府の資金ですべて整備してもらう。自分の懐を痛めていないから、自分の村を“自分のモノ”と感じにくい側面があるのも事実だろう。いずれにしろ、オーナーシップの領域をいかにして広げていくかが環境意識を高める際のキーポイントになる。

エコロジーの語源は、ギリシャ語のオイコス、日本語に訳せば「家」。やっぱり、一人ひとりが“地球を自分の家”と思わなければダメなのかもしれない。「自分の家」なら誰でも大切にするから。(続き