【環境と開発の接点(6)】環境教育のジレンマとは‥‥、論理的に考えられない人たち~「考える教育」が先か「環境教育」が先か

2007.05.01マリパの幼稚園の授業の風景。先生の言うことを園児が反復する、というのが学習方法。小学校も、高校も(ベネズエラの教育制度に“中学”はない)、教授方法は本質的に変わらない

ベネズエラの田舎で環境教育に携わってみて、一番痛感するのは、こっちの人は「物事を論理的に考えられない」ということ。これは大人も子どもも同じ。環境を学ぶ・教える以前に立ちはだかる、根本的な教育レベルの壁。「考える教育」が先か、「環境教育」が先か、そのジレンマを語る。

矛盾だらけのプロジェクトがコンテストで優勝

「ごみは地球を汚染し、病気を蔓延させます。マラリア、デング熱、下痢、嘔吐‥‥などが代表的なものです。

ベネズエラ(人口約2550万)では1日1860万キログラムの、ここマリパ(ベネズエラ南東部の村。人口約3000)では1日1871キログラムのごみが出ます。家庭ごみを3日間回収して量ったら、びん7キログラム、ペットボトル2キログラム、カン0.5キログラムありました。

ごみ捨て場と教会のそばのそれぞれの家で、病気を媒介する虫や動物などの数を調べてみました。ゴキブリの数こそごみ捨て場のそばのほうが多かったですが、ハエの数はほぼ同じ、脚の長い蚊(マラリアを媒介するハマダラカなど)やねずみの数はむしろ教会のそばのほうが多い――という結果が出ました。

ごみ捨て場の近くに住んでいる人のほうが多く、マラリアやデング熱などにかかっています! ごみは病気の原因となるのです。

以上の理由から、ごみの埋め立て地を建設すること、ごみの分別意識を高めることが必要だと思います」

これは、高校生たちによるプロジェクトのコンテストの一幕。私が暮らすマリパの周辺では毎年5月ごろ、数カ月にわたって高校生たちが取り組んできた(といっても実際は直前の数週間しかやらないが)さまざまなプロジェクトを発表し、順位を競い合う。

上のカギカッコの内容は、エントリーされた7つプロジェクトのうち、優勝したものの要約だ。

この結果を聞いたとき思わず、「えっ? 矛盾だらけなのに」とつぶやいてしまった。なんで審査員は辻褄が合わないプロジェクトを1位に選んだのだろう。ひょっとして矛盾に気づかなかったのか。私は首を傾げた。

ごみって何のごみ? 汚染って何の汚染? 容器にハエや蚊が集る?

コンテストの翌日、審査員と優勝した「ごみと病気のプロジェクト」の指導者(この2人は夫婦。ともに大学院卒で30代)の家に呼ばれ、高校生たちのプレゼンの感想を聞かれた。

「まあ、良かったよ。でも1位はちょっと腑に落ちないね。だって矛盾がありすぎるし。まず、なんでごみの重さを量るのに、容器だけを量るのか分かんないな。だって容器と人間の病気の関係性は薄いんじゃない?」(私)

「容器にちょっとでも水が入れば、蚊がわくだろ」(指導者)

「ありうる話だけど、捨てられたビン類はたいてい横を向いていて、水なんかたまっていないよ。乾季には水一滴入っていない。むしろ、残飯やうんちの付いたトイレットペーパー(使用済みトイレットペーパーは便器に流さず、他のごみと一緒に捨てる)、使い終わった紙ナプキンなどが、ハエを集らせているんじゃない」(私)

「ごみの大半は容器なんだ。知らないのか」(指導者)

「でも容器があるからって、蚊も、ハエも集まってこないでしょ。食べ物のかすが付いているものもあるから少しはハエが来るだろうけど‥‥。容器は別の問題なんじゃない」(私)

「ごみは環境を汚染するんだ。そんなことも分かんないのか」(指導者)

「ハア(ため息)。しかも彼らのデータは、ごみ捨て場の近くの家のほうが、脚の長い蚊の数が少ないといっているのに、マラリアやデング熱が多いという。これじゃ辻褄が合わない。どっちかのデータがおかしいんじゃないのかな」(私)

「そんなこと言ったって、そういうデータなんだ」(指導者)

「でも理論が破綻しているよ」(私)

「プロジェクトにもっと敬意を払ったらどうだ」(指導者)

「ハア(ため息)。高校生がごみの埋め立て地を建設すべきだ、なんて。それはその通りだろうけど、財源のない行政の問題にするんじゃなくて、個人でできることをするのが先決でしょ。病気の予防に、一人ひとりが衛生観念を高めたほうが、早くて簡単に効果が上がるんじゃない?」(私)

「ごみは焼かないほうがいいだろ。環境を汚染するんだよ。そんなことも知らないのか。くそっ、なんでお前はスペイン語が理解できないんだ」(指導者)

「ごみごみって言うけどさ、いったい何のごみの話をしているんの? 汚染汚染って言うけど、どんな汚染のことを言っているの?」(私)

この議論、というより噛み合わない会話は平行線を辿ったまま終わった。高校生はともかく、環境や教育に携わる大人まで矛盾を矛盾と感じない不思議さ。私はもどかしさと同時に、虚しさまで込み上げてきた。環境教育以前の問題。論理的に考えられない人たちに対してどうアプローチしていけばいいのか。

しかもこのプロジェクト、指導者がすべて内容を決め、高校生は彼に従って動いただけなのだ。

“決まった1つの答え”を先生がすぐに言う

たとえばハエの問題。マリパにはハエがうっとうしいぐらい多い。とりわけ雨季に入ったいま、ご飯を食べようにも食卓にハエが数十匹とまっていて「食事前のハエたたき」が慣習となっている家さえある。

豊かな自然に囲まれて育ち、飢えを知らないこっちの人たちは、一度に作る食事の量が半端なく多い。5人家族なら1キログラムのご飯を一気に炊くことだってざらだ。

とても食べ切れない。ということは大量の食べ残しが出る。もったいない、という概念がない彼らはそれを1日中台所や食卓に放っておく。また庭にドサッと捨て、土や何かで覆ったりしない。ハエにとっては格好のえさ場となる。

また料理をするときも、食事の前も、まず手を洗わない。さらに食べ物や飲み物を平気で床に置く。私が勤務するベネズエラ環境省マリパ事務所では驚くなかれ、食器を洗うスポンジでトイレまでそうじする始末。

衛生観念が極端に欠けているのだ。これでは病気が蔓延しないほうがおかしい。

次にマラリア。マリパではマラリアにかかることは日常茶飯事。10回以上かかったことのある人だって珍しくない。

ところがもっと奥地に行けば行くほど、ごみの量は減るのに、マラリア感染者の数は増えていく。対照的に、街はもっとごみだらけであってもマラリアは少ない。

マリパのごみ捨て場はサバンナにある。村の外れだから、道も舗装されておらず、水溜りもたくさんある。しかも自然が残っているので、虫が多いのは自然の摂理。そもそもマラリア原虫を人から人へ媒介するハマダラカは、水がきれいで流れのゆるやかな川などに生息する。だから単純に「ごみ(何のごみなのかはさておくとして)=マラリア伝播」とは決め付けられないのだ。

それにしても、どうして彼らは“論理的”に考えられないのだろう。

こちらの教育スタイルは他の途上国と同じく、典型的な“覚えさせる教育”だ。幼稚園から小学校、高校まで、先生の言うことを反復するのが、子どもたちの学習方法。私が授業をするときも「ごみって何だろう?」と数人の子どもたちに尋ねると、横で見ていた先生が間髪入れず「要らないもの、でしょ!」。考えさせる時間はわずか2~3秒。こんな短時間でどんな意見が言えるというのか。

だから子どもたちは「要らないものがごみです」と先生の真似をして答えるしかない。だからだれに聞いても同じことを言う。先生は大満足だが、そこには好奇心も、素朴な疑問も、オリジナリティーも、クリエイティビティーもない。

環境教育の可能性は無限大。環境を学びながら、他のことも学ぶことができる――とはよく耳にするフレーズだ。私もかつてはそう信じていた。でもいまはちょっと違う。たぶんそれは、それなりの教育レベルが備わったところでの話ではないのか、と。

“覚え込ませる教育”は、考えるというステップを省くだけに、思い込みが激しい、物事を単純化してしまう、人の話を聞かない、論理的に考えられない、新しいことを否定する――という人間を形成してしまう気がしてしかたない。

環境問題を理解してもらいたくても、論理は通らない。となると、論理的に考える方法を先に身に付けてから環境を学ぶ方がベターということになる。だけどそれは待てないし、論理的に考えられる人はすでに環境意識をそれなりに持っていることだろう。

“考える教育”が先か、“環境教育”が先か――卵と鶏ではないが、この悩みは日に日に膨れあがっていく。(続き