マレー世界にもあった「もったいない」、マータイさんをしのぶ

フィリピンを代表するごちそう「レチョン」(豚の丸焼き)。たくさん頼んでたくさん食べる。余ったら家に持って帰ることも

「もったいない」という日本語を世界的に広めた、ケニア出身の環境活動家ワンガリ・マータイさんが2011年9月、亡くなった。“もったいないの精神”を共有することが地球のごみを減らし、ひいては環境の改善につながるという彼女の発想はすばらしく、情報元の日本人としてはとても誇らしかった。

ただこの精神、実はマレー系社会(国家)にも息づいている。フィリピンやインドネシアなどでは「サヤン(sayang)」という言葉をよく聞く。「もったいない」「残念」などの意味を表すが、日本以上に生活のあらゆるシーンで使われている。

屋台で数人集まってごはんを食べるとき、終了間際、こんな会話が必ずいくつかのテーブルで交わされる。

「あ~、おなかいっぱいだね」

「食べたね~」

「でもまだ皿に料理が残っているよ」

「もうちょっと食べなよ。sayangだから」

また、会社や学校に行けば、女性たちはときどき次のような会話で盛り上がる。

「着られなくなった服、持ってきたんだけどさ。要らない?」

「まだ新しいじゃん」

「うん、1回しか着ていないし。どう? 捨てるとsayangだしさ」

「これいいね。ちょうだい」

「いいよ。どうせ私、もう着られないし。sayangでしょ」

東南アジアはいまでこそ貧困にさらされている地域もあるが、自然の豊かさもあって人々は元来、食べることに困らなかった。バナナやココナツはどこにでも生っているし、魚もすぐ捕れた。古き良き時代は自然のめぐみだけで、大して働かずして十分に食べていけたのだ。

そのてん日本は違う。畑をコツコツと耕さなければ、食べ物は出てこない。生まれながらに勤勉で、モノを大切にしなければ生き延びることが難しいという環境にいた。「もったいない」と考えるのは当然の帰結だろう。

民族の歴史を振り返っても、ほとんど飢えることがなかった東南アジアの人々。ひもじい経験がないだけに、国民性はとってもおおらか。屋台でごはんを食べるときも、どうしても多めに注文してしまう癖は抜けない。その彼らがsayangという言葉を発し、モノを分け合ったりするのだ。

もったいないと思う必要性に迫られないなかでsayangの6文字が生まれ、そしてそれが受け継がれてきたすばらしさ。マレー社会に隠されていた、もうひとつの“もったいないの精神”。日本語の「もったいない」だけでなく、インドネシア語やタガログ語の「sayang」も世界中に広まってほしい。