【フィリピンのど田舎で、モッタイナイとさけぶ(1)】「廃棄=貧困」の町で捨てられていく“宝の山”、有機野菜を作りたい!

荷台に載った有機ごみも、プラスチックなど無機ごみも一緒に捨てるティナンバック町のごみ処理場(2015年2月12日)荷台に載った有機ごみも、プラスチックなど無機ごみも一緒に捨てるティナンバック町のごみ処理場(2015年2月12日)

「あぁ、もう! 最初から分けられていたら、こんな時間必要ないのに!」

3月上旬、フィリピン・ルソン島南部の田舎町・ティナンバック町。町農業事務所職員、マイルズ・セレスチャルさん(24)が作業の手を止め、額の汗をぬぐってそう叫んだ。黒い塊のように群がるハエが飛び交い、悪臭漂うごみ処理場。約20人がゴム手袋を手にはめ、持ち込まれたごみを一つ一つ分別していた。生ごみ、プラスチックごみ、ペットボトル、瓶…。日本なら分別されて持ち込まれるごみだが、フィリピンでは、事情が違う。

私は、青年海外協力隊員(職種:コミュニティ開発)として、2014年10月にフィリピンに着任し、11月にこの町の農業事務所に配属された。2年間の主な活動内容は、有機農業を広めること、そして、このごみ処理の状況を改善することだ。

その改善を阻む「壁」が、この分別されていないごみ処理だ。町内では、生ごみや草木などの「有機ごみ」と、プラスチックごみを中心とした「無機ごみ」に分けて捨てるように指導されている。しかし、道端に置かれたごみ回収のためのタンクには、有機も無機も関係なく捨てられていく。そうやってタンクに捨てればましな方。生ごみは家畜にやっている家庭も多いが、食べ残った鶏の骨やプラスチックごみ、ペットボトルでも窓の外に投げ捨てるし、タバコのポイ捨ても当たり前。家の敷地の一角にためたり、道端にごみが散乱したりしている。

問題は住民側だけではない。住民が分けて出した一部のごみを、町職員が回収する際、面倒なのか、結局トラックの中で一緒にしてしまう。そして混ぜられたごみは、平地に野積みするだけだ。

今回の分別作業は、私の配属先がごみ処理の実態を把握するため特別に実施したもので、この日は分別だけで3時間かかった。時間が取られたことだけでなく、これらのごみに手を突っ込むと、ゴム手袋の上からでもじんわりと手のひらに温かさを感じた。発酵熱だ。発酵が進めば、堆肥として再活用できるのに…。

そんな光景を見て、私は現地語でつぶやいた。「サヤン(モッタイナイ)!」と。

■52%が有機ごみ

「人口増加に比例して、ごみの廃棄が増えている。このままでは衛生的にも、景観的にも良くない」。配属先の事務所長、レイナルド・リベラさん(57)はそう強調する。

内海、外海に囲まれ、山間部ではココナツの生産が有名など資源に富んだティナンバック町だが、住民1人当たりの収入は、世界銀行の定める「貧困ライン」の1日1.25ドルを下回る。そんな低収入の町にあって、リベラさんは「ごみの削減は、低収入と並ぶ解決すべき課題」と位置づける。

そこで町が考えたのが、堆肥化による有機ごみの削減と、有機農業の拡大だ。

生ごみや庭の草木、葉っぱなどの有機ごみを堆肥化して削減し、そこで作った堆肥を畑に用いて有機農業を推し進める。ごみが減らせた上、消費者は化学肥料を用いない安全な野菜を口にすることができ、農家はより単価の高い有機野菜を販売し、収入を増やせる。

実際、3月のごみ処理の実態調査では、調査した3日間で465キログラムのごみが出され、そのうち、有機ごみは242キログラムと、52%を占めた。単純計算で、約半分のごみは堆肥化が可能だ。ごみから“宝の山”を生み出す、一石二鳥、いや一石三鳥、四鳥にもなる理想の解決法…のはずだった。

町は堆肥化を進めるため、2011年、コンクリートの屋根とごみ破砕機を備えた堆肥場を、ごみ処理場の隣接地に建設。しかし、職員数8人の小さな所帯。人手不足や、堆肥づくりに関する知識不足のため、結局ほとんど使われないまま野ざらし。ここでも「サヤン」な状況に置かれている。

そんな町が頼ったのが、日本の国際協力機構(JICA)であり、派遣されてきたのが、協力隊である私だった。

ごみ処理実態調査のため、ごみを分別する人たち。分別する時間も、普段は有機・無機ごみが混ぜて捨てられている実態も、「サヤン」だ(2015年3月1日)

ごみ処理実態調査のため、ごみを分別する人たち。分別する時間も、普段は有機・無機ごみが混ぜて捨てられている実態も、「サヤン」だ(2015年3月1日)

■農業素人の私に「落胆」

しかし、私の派遣前の前職は新聞記者。農業も堆肥作りも経験なし。派遣前に3週間の有機農業体験をしたのみ。「農業のエキスパートじゃないの?」。顔合わせのときの同僚の落胆した表情は、今でも忘れられない。

ただ、手をこまねいて見ているわけにもいかない。事務所では、私が日本で学んだ、有機ごみを分解する微生物を多く含んだ「高倉式コンポスト」や、パイプを差し込み、空気を中で循環させて発酵を保つ「エアレーション堆肥」などを実践。にわか仕込みの知識で、事務所裏の農園で、天然資材を使った液肥を使った有機野菜の試験栽培にも取り組んでいる。

それも、堆肥は温度がうまく上がらず、虫がわいたり、腐ったりなどして発酵に失敗。試験栽培も、気づけば同僚が化学肥料を畑の一部に使い、純粋に「有機野菜だ」と言えなくなってしまった。おまけに、町の農地の95%はココナツ農園。フィリピン人は野菜よりも肉、魚を好んで食べるため、本当に有機農業を広められるのか、疑問もある。

フィリピンに来て約半年。なかなか思ったように活動はできていない。今私ができているのは、これまで挙げたように、多くの「サヤン」を指摘してあげることだ。「日本ならこうしているよ」「良い資源なのに。もっと生かそうよ」―。フィリピンとは違う文化で30年生きてきたからこそ、できる提案がある。残り1年半の任期をかけ、この町の人たちとともに、そんなサヤンに、一つ一つ向き合っていきたい。