【フィジーでBulaBula協力隊(7)】白人は特別待遇! フィジー人は外国人をシビアに格付けしていた

筆者が冒頭の出来事に遭遇した両替所(フィジー・シンガトカ町)。周辺には洋服屋やレストランがあり、週末は観光客を乗せたバスが発着する。白人の特別扱いは店としての方針なのか、従業員個人としてのものなのかははっきりしない筆者が冒頭の出来事に遭遇した両替所(フィジー・シンガトカ町)。周辺には洋服屋やレストランがあり、週末は観光客を乗せたバスが発着する。白人の特別扱いは店としての方針なのか、従業員個人としてのものなのかははっきりしない

外国に行って「自分が日本人」だと改めて自覚する人は多い。風景や食事の違いだけが理由ではない。フィジーで暮らすようになって私が最もそれを痛感するのは、現地の人から「外国人扱い」されたときだ。外国人に対するフィジー人の印象を考えてみたい。

■行列に並んでもアジア人は「後回し」

フィジー人に格付けされているな、とひしひしと感じる出来事に遭遇した。日本円をフィジードルへ替えようと、両替所へ行ったときのことだ。韓国人の観光客がすでに4~5人いて、3つの窓口はすべて対応中だった。仕方がないので、私は列に並び順番を待つことにした。

そこに若い白人のカップルが入ってきた。すると驚くことに、フィジー人のセキュリティーガードは、韓国人らに「白人を先に通してくれないか」と言い出したのだ。私はこの言葉に耳を疑った。しかも窓口のフィジー人の女性まで、白人カップルを手で招き入れる仕草をしているではないか。

韓国人らは結局、ガードと一言二言交わした後、白人カップルに順番を譲った。「ありがとう」。このカップルは礼を言い、店を去っていった。まるで「特別待遇」は当たり前であるかのように。

似たような出来事はほかにもある。スーパーマーケットのレジ係の対応が、私と白人とで微妙に違うのだ。店員は、私やフィジー人にはあいさつもせず、買い物カゴの商品を投げるようにバーコードリーダーへ通す。代金も奪い取るようにもっていかれる。日本人からすると客に対して不躾に思えるが、フィジーではこれが普通だ。

対照的に白人に対しては、レジ係の対応が妙に手厚い。「どうぞこちらへ」「カードでお支払いですか」「良い旅を」。言葉づかいが丁寧なだけではない。商品だって投げたりしないし、代金も丁重に受け取る。これほど対応が違うと、いくら私がこの国ではよそ者であっても良い気はしない。

2つの出来事は偶然だったかもしれない。だが同じようことが何度か続けば、フィジー人は外国人を何通りかの色眼鏡で見ているなと感じずにはいられない。フィジー人は多様な外国人たちにどんな印象をもっているのか気になった。

■白人は「お金を落としてくれる」

それとなく近所のフィジー人(男性)に、外国人についてどう思っているのか、話を切り出してみた。彼は、カナダ人がオーナーを務めるリゾートホテルで4年間働いている。

私の疑問に、彼はこんな答えを返してきた。「欧米人やオーストラリア人はホテルの『顧客』かな。うちのホテルでも、客の大半は白人だよ」。フィジーのホテル産業には多額の外国資本が入っていることもあって、主な従業員はフィジー人だが、経営者や顧客は確かに外国人というところが多い。

そして続けた。「中国人は店をもつ人が多いから『商売人』。日本人は『友だち』かな」。こう話しながら私の肩をたたき、大口を開けて笑う。フィジー人は小難しい話をせず、ストレートだからある意味気持ちが良い。やはり彼らは外国人を差異化して見ていた。

気になるのは、白人とそれ以外の外国人への対応の差だ。彼は「白人を特別扱いしているつもりはないよ。でも白人は昔(フィジーの植民地時代)からここにいるし、観光客としてフィジーに貢献してくれているからね」と付け加えた。

「観光客としての存在感」「かつての宗主国」‥‥。推測するに、欧米の進んだ文化への羨望感もあるはず。彼の言うように、こんなイメージがフィジー人の意識には根付いていて、白人を尊敬に近い眼差しで見ているのではないか。やけに手厚い対応は、そんな白人に見返りを期待する面もあるのだろう。

フィジー人は外国人にとてもフレンドリーだ。ただそのフレンドリーさはすべての外国人に対して同じではない。半年近くフィジーで暮らしていると、生活のいたるところでこのことを感じる。

とはいっても、私はあくまで日本人。フィジー人にあれこれ言える立場にないと思っている。それに自分が同じ状況に置かれたら、きっとフィジー人のように振る舞うだろうから。異文化の中で暮らすのは簡単ではないな、と改めて感じながら、フィジー人のシビアな一面に驚いている。