【フィジーでBulaBula協力隊(17=最終回)】2年の経験は無駄か? 帰国後の社会復帰は山あり谷あり

ィジーの首都スバにあるJICA事務所で最後に記念写真を撮った。何もかもがスローなフィジーだが、この事務所の中だけは「ジャパン・タイム」で物事が進むフィジーの首都スバにあるJICA事務所で最後に記念写真を撮った。何もかもがスローなフィジーだが、この事務所の中だけは「ジャパン・タイム」で物事が進む

「ただいま日本!」。フィジーで青年海外協力隊の任期(2年)を終え、私は7月上旬、日本へ帰ってきた。時間通りに動く公共交通機関、店でのていねいな接客、飛び交う日本語‥‥。帰国当日こそ戸惑ったものの、心配していた「逆カルチャーショック」は想像ほどではなかった。あっという間に私は日本に馴染んだ。

そんな私の、いや、多くの帰国隊員の一番の悩みといえば、日本社会へどう復帰するか。連載最終回では、帰国した隊員が直面する課題と、途上国での経験が自分のキャリアにどうつながるのかを考えてみたい。

■「協力隊はキャリアではない」

「途上国で仕事するなんてすごいね」。周りから激励されてフィジーへ赴任したのは2年前。環境教育隊員である私は、生ごみの堆肥化や学校での環境教育に取り組んだ。満足度100%で帰国した。

唯一気がかりだったのが、帰国後の就職活動だ。協力隊への参加は日本社会での2年のブランクを意味する。帰国隊員が就職に苦労する話は派遣前から聞いていた。そのため私は、派遣中にTOEICの資格を取ったり、求人サイトに登録して情報収集したり、と就活対策を入念にしてきたつもりだ。

フィジーにお別れを告げ、日本に帰ってきた私はすぐに、協力隊OB・OGを採用した経験のある国際協力団体や企業の訪問を始めた。だがそこには「現実」という壁が待ち受けていた。ある開発コンサルタント会社の人事担当者には「協力隊の経験だけではキャリアにならない。技術がなければ新卒と同じ」とはっきり言われた。

また、ウェブサイトに求人情報を掲載していた別の企業は、応募書類を送った私に対し、「今は採用を中止している」。この対応はひょっとすると、協力隊OBである私を「面倒くさい」と避けたのかもしれない。

原因は、私の実務経験のなさに尽きる。多くの国際協力団体や開発コンサルタント会社は即戦力を求めるため、中途採用が中心。語学が多少できて、ボランティア経験があるくらいだとお呼びでないのだろう。私は新卒で協力隊に参加したから、日本でまともに働いた経験すらない。

日本へ帰国する2日前に、シンガトカ町役場の同僚が私のために送別会を開いてくれた。部外者でも誰でも温かく迎えてくれるフィジー人のホスピタリティーに学んだことも多い

日本へ帰国する2日前に、シンガトカ町役場の同僚が私のために送別会を開いてくれた。部外者でも誰でも温かく迎えてくれるフィジー人のホスピタリティーに学んだことも多い

■“逆ホームシック”にかかった

壁にぶち当たると、思い出すのはフィジーの暮らしだ。「ブラ(やあ)」と誰にでも声をかけるフィジー人、毎日のようにアフター5に南太平洋の嗜好飲料「カバ」を飲み交わしたこと、将来について悩まない楽観的な国民性‥‥。また外国人というだけで常に注目の的で、私はある意味、特別扱いされてきた。すべてが懐かしい。途上国の生活を羨む“逆ホームシック”に私はかかっている気がする。

生まれ故郷の日本はすべてが快適。フィジーに比べ、物事が格段にスムーズに進むし、地方にいても首都と遜色ない便利な生活を送れる。だが2年の途上国生活を経た今、私の価値観は、決して無理をせず、物がなくても毎日を楽しむフィジーの人たちの影響を受けている。私の目には正直、日本人は生き急いでいるように映る。

こうした考えは現実逃避なのかもしれない。他の帰国隊員はどうなのだろう、と気になった私は、同じ時期に帰国した隊員OB・OGに話を聞いてみた。

■開発業界への就職は2割以下

「日本に帰ってきてもほとんど違和感はない。これから友人を訪問するため、3カ月かけて世界一周する」。こう話すのは民間企業を退職した後、セネガルに派遣され、先ごろ帰国した20代男性の元隊員だ。世界一周が終わったら、短期の協力隊員としてセネガルに戻る計画という。その後はビジネスの立場から国際協力に携わりたいと意気込む。

同じくセネガルから帰国した20代の女性(看護師)は、現地で活動中に日本の大学院へ入学した。しばらくは日本で働きながら夜間コースで修士号取得を目指す。「修士号を取って、将来は、専門を生かして国際関係の仕事に就きたい」と言う。

「日本にもうすっかり慣れた」と話す2人。社会人経験があるためか、気持ちと行動の切り替えが早い。でも2人とも開発関係の進路を希望するところをみると、どこかで途上国に後ろ髪を引かれているのかとも思う。

隊員の帰国後の進路はさまざまだ。数だけでいえば、開発と無縁の仕事に就く人が圧倒的に多い。国際協力機構(JICA)青年海外協力隊事務局によると、帰国後に開発業界の就職する元隊員は2割以下。理由は、受け皿が少ないことに加え、専門性を証明する学位や複数の語学スコアなど高度な能力を求められるからだ。

「国際協力の登竜門」といわれる青年海外協力隊。しかし協力隊に参加さえすれば、自動的に道が開けるわけではない。深い悩みの中にいる私だが、不思議と焦りはない。フィジー人は言っていた。「いくら仕事が少なくても、家族と仲間がいれば幸せだよ」と。日本に帰ってきて、フィジー人が発していた言葉に助けられている。どんな形でもいいから私はずっと、途上国と、できればフィジーとかかわり続けていきたい。(連載は今回で終了です。これまで読んでいただきありがとうございました)

2年生活したフィジー・ビチレブ島シンガトカ町の風景。「日本に疲れたらいつでも戻っておいで」。別れ際に同僚のフィジー人が声をかけてくれた時は泣けた

2年生活したフィジー・ビチレブ島シンガトカ町の風景。「日本に疲れたらいつでも戻っておいで」。別れ際に同僚のフィジー人が声をかけてくれた時は泣けた