マイクロファイナンスで「貧困の連鎖」を断ち切れるか、ヤンゴンの貧しい一家の物語

0412平野くん、写真①夜2時間、昼1時間の睡眠で家族を支えるタンラッさん(手前)。ミャンマー・ヤンゴンで撮影

「夫のようには絶対なってほしくない」。こう言い切るのは、ミャンマー・ヤンゴンの郊外にあるラインタヤー地区で暮らすタンラッさん(42)だ。彼女の夫は建設現場で働く。日当は約8000チャット(約800円)。タンラッ夫婦は小学校しか出ていない。このため安い給料で働かざるを得ず、一時は借金地獄に。だが夫婦の夢はいま、子どもたちが将来裕福になることだという。

■子どもは大学に行かせたい

トタン屋根に竹で組まれた高床式の家。7畳ほどしかない質素な家に、タンラッさんは5人(子どもは3人)で住む。ラインタヤー地区に一家が引っ越してきたのは5年前。当時は医療費や教育費がかさんで200万チャット(約20万円)の借金を抱えていた。

そんな借金地獄から抜け出すきっかけとなったのはマイクロファイナンス(担保なしで少額の融資を受けられるスキーム)だ。地元の中堅マイクロファイナンス機関ソシオライトから15万チャット(約1万5000円)の融資を受け、それを元に、朝は炒飯と麺、サラダを、日中はスナックやクヤ(ミャンマーの伝統的なお菓子)を作って販売するようになった。

「ソシオライトから融資を受けるまでは、長女と次女を学校に行かせるために近所からお金を借りることもあった。いまは、夫の収入に加えて、私も1日に1万チャット(約1000円)稼げるようになった。月7万チャット(約7000円)に上る子どもたちの学費も払えるようになった」(タンラッさん)

タンラッさんには4人の子どもがいる。一番上の娘はすでに結婚し、夫の実家で暮らしながら働いている。「長女と2番目の息子はそれぞれ高校1年(10年生)と小学5年(5年生)までしか学校に行かせられなかった」と悔やむ。「下の2人の子ども(中学2年生=7年生、小学3年生)には大学を卒業させたい。子どもには医者か学校の先生になって、いまより良い生活を送ってほしい」。子どもたちも「警察官」「ビジネスマン」になるといった夢をもつ。

ソシオライトで働くチンプププイさん(21)は「タンラッさんの子どもが大学に行き、卒業できる可能性は70%ぐらい。事業がこれから大きくなるかどうか次第だ」と指摘する。

子どもには貧しさから抜け出してほしいと語るチチカイさん(手前)ミャンマー・ヤンゴンで撮影

子どもには貧しさから抜け出してほしいと語るチチカイさん(手前)ミャンマー・ヤンゴンで撮影

■子どもの夢は「大臣」

同じラインタヤー地区に住むチチカイさん(31) は、4人の子どもに加え、もう1人を1カ月後に出産する予定だ。臨月にもかかわらず、朝4時から夜10時まで1日18時間も働く。

「私は算数の先生になりたかった。けれども幼いころに父が亡くなり、家計が苦しくなったため大学へ行けなかった。子どもには大学に入り、やりたいことをやらせたい。私はそのために全力で支える」

チチカイさんは軒先で小さなレストランを営む。ソシオライトから15万チャット(約1万5000円)の融資を受けて開店した。以前は建設作業員で、日当は4000チャット(約400円)だった。現在の収入は1日1万チャット(約1000円)と2.5倍に。「軒先の空いている場所に八百屋も開きたい」とやる気満々だ。

チチカイさんの一番下の子どもは幼稚園の時、成績優秀者に与えられるタッタッ賞を受賞した。「将来は大臣になりたい」と大きな夢を描いているという。

一番上の子どもは6年生までしか学校に行かせられず、現在は工場で働いている。残り3人の子どもはそれぞれ小学6年生、5年生、3年生だ。チチカイさんは「自分が裕福になることは難しい。でも子どもたちが大学を出て、裕福になるのは可能だ。そうなってほしい」と期待を寄せる。

チチカイさんの家(左)。ヤンゴン郊外のラインターカー地区にはこんな家が立ち並ぶ。ミャンマー・ヤンゴンで撮影

チチカイさんの家(左)。ヤンゴン郊外のラインタヤー地区にはこんな家が立ち並ぶ。ミャンマー・ヤンゴンで撮影