貧困地域の小中学生12人に「ミャンマードリーム」を聞いてみた! 医者・歌手・ダンサー

写真2ヤンゴン・ダラ地区の中でも最貧地域と呼ばれるヤザティンヤン付近に住むワー・ワー・ウェンさん(真ん中)とその家族。家族を支えるお父さん(右)のサイカーでの稼ぎは1日約5000チャット(およそ420円)

貧困家庭で育った子どもは夢を持てない――。そんなイメージを覆すのはミャンマー・ヤンゴン市で貧しい人が暮らすダラ地区に住む子どもたち。8~12歳の小中学生12人に「将来の夢は何?」と聞いたところ、全員が「高収入の仕事に就きたい」「有名人になりたい」と答えた。エンジニア、医者、会計士、歌手、ダンサーが人気だ。

日々の暮らしで精一杯な親はたいていの場合、子どもにいろんな経験を積ませることができない。このため貧しい子どもはなかなか夢をもてないのが実情だ。ところが意外なことに、ミャンマーでは貧しい子どもも夢をもっている。そこにはどんな影響があるのかを考えた時、3つの理由が浮かび上がった。

第一の理由は「学校の存在」。取材した一人の子どもの母親によると、ダラ地区だけで小学校は19校あるという。12人の子どもはみんな学校に通っていた(ミャンマーの成人識字率は2008年のデータで91.9%)。アマカダラ12番小学校に通うショチョー・ウィンくん(8歳)は「20人いるクラスの中で、算数のテストは常に成績トップ」と自慢げに語る。そんな彼の夢はエンジニアになること。「勉強して賢くなれば、なれるんでしょ?」と信じている。

第二の理由は「身近にいるエンジニアや医者の存在」。姉が医者だというヒィン・オゥ・ワイさん(12歳)にとって、医者という職業は遠い存在ではない。「家族のみんなが賢い姉のことをほめるから、私は姉に嫉妬している。憧れもあるけど」と姉への対抗心を燃やす。ダラ地区で育った姉はヤンゴン医科大学に進み、今はヤンゴンの病院で働く。

ターニヤくん(8歳)は父親がエンジニア。「お父さんが仕事で使う機械を見せてくれ、興味がわいた」と語る。ターニヤくんの父親もダラ出身。学校はヤンゴン・インセインにあるガバメント・テクニカル・インスティテュートに通い、今では家族の元を離れヤンゴンのダウンタウンでエンジニアとして働いている。

第三の理由は「歌手や有名人の影響」。取材した子どものうち2人が「歌手になりたい」と答えた。憧れの的は、ミャンマーで有名なR&B歌手のピュピュジョティン(phyu phyu kyaw thein)。「ピュピュジョティンは学校でも人気がある。私もあれくらい有名になりたい」とワー・ワー・ウェンさん(13歳)は目を輝かす。

インド映画から影響を受けたのはミャッタンモさん(8歳)。「映画のストーリーが終わると、キャストがみんな一緒に楽しく踊るの。私もいつか同じように踊りたい」と夢を膨らます。ミャッタンモさんの楽しみは、きょうだい一緒に、韓国ドラマやインド映画をテレビで見ること。日本の子どもと同じように、アイドルや歌手、有名人に憧れる気持ちはダラ地区の子どもでも変わらない。

医者、エンジニア、歌手‥‥いずれもダラ地区を離れないとつかめない職業だ。子どもたちは将来、どこで仕事をしたいのか。

12人全員が「ダラで働きたい」と答えた。エンジニアを夢を見るミーミャロートゥさん(11歳)は「貧しくて学校に通えない友だちがいる。私は将来、仕事をたくさん作って、ダラの子どもたちがみんな学校に行けるようにしたい」と話す。ダンサーになりたいというミヤッタンモさん(8歳)も「テレビに出て有名になるのが一番の夢ではない。ヤンゴンで有名になってから、ダラに戻って、地元の子どもたちのためにダンス教室を開きたい」と熱く語る。

医者の姉をもつヒィン・オゥ・ワイさん(12歳)。近所の子どもを助けれるような医者になりたいと話す

医者の姉をもつヒィン・オゥ・ワイさん(12歳)。近所の子どもを助けれるような医者になりたいと話す

同じ家に家族として住む3人。左からミヤッタンモさん(8歳)、イ・テシンカーさん(12歳)、ダシン・カーさん(12歳)。部屋の中央にはテレビが置かれ、最近は韓国ドラマにはまっているとのこと

同じ家に家族として住む3人。左からミヤッタンモさん(8歳)、イ・テシンカーさん(12歳)、ダシン・カーさん(12歳)。部屋の中央にはテレビが置かれ、最近は韓国ドラマにはまっているとのこと

ダラ地区とヤンゴン中心部の間に流れるヤンゴン川。国際協力機構(JICA)が援助した船が行き来する。日本人は無料で乗れる

ダラ地区とヤンゴン中心部の間に流れるヤンゴン川。国際協力機構(JICA)が援助した船が行き来する。日本人は無料で乗れる