ベトナム中部クァンナム省ナムザン郡、ラオスとの国境付近の山岳地帯で生活する少数民族がいる。カトゥー族だ。今でも狩猟採集の半自給自足の生活をし、民族特有の織物「カトゥー織り」で有名だ。53あるといわれるベトナム少数民族の中で、カトゥー族は近年次第に注目を集めるようになった。2017年からはベトナム随一の観光地ホイアンで年に数回、カトゥー族が伝統ダンスや伝統品を披露するお祭り「カトゥーナイト」が開かれるほどの人気ぶりだ。しかしその人気の裏には、少数民族がゆえにどうしても広がってしまう格差や、他の少数民族にも見られるように誇りの喪失などの苦悩があった。その逆境に立ち向かったのは、伝統を守り、発展させようと挑戦し続けたカトゥー族の女性たち、そしてその活動に触発されたカトゥー族の男性たちだった。
■武器は「カトゥー織り」
ベトナムの多数派民族であるキン族と少数民族との格差は広がるばかりだ。カトゥー族もその例外ではなかった。最近まで、カトゥー語を主に使うカトゥー族にはベトナム語を話す人は少なかった。カトゥー族の子どもたちは近年、キン族とともに地元の学校に通うことも多くなったが、「野蛮だ」「ベトナム語が下手だ」などと差別を受けることもあった。
キン族よりも暗い肌の色や大きな目などの見た目の特徴でカトゥー族だとわかってしまうため、少数民族であることがバレれば歓迎されない。若者はカトゥー族の伝統衣装を着たがらなくなり、次第にカトゥー族であることに誇りを持つことができなくなっていったという。伝統文化は消えかけていた。
1986年にドイモイ(刷新)政策がスタートし、急激な経済成長を果たしているベトナムの貧困率は現在3.1%。しかし人口の約15%を占める少数民族の貧困率は46.6%にも上る。これは、人口の大多数を占めるキン族がビジネスなどを成功させているのに対し、狩猟・採集などの伝統的な生き方を必要とする少数民族の生活が厳しいものになっていることを示す。
厳しくなる少数民族の生活に危機感を抱き始めたのが、カトゥー族のひとつの村、ザラ村の女性たちだった。ザラ村は伝統のカトゥー織り、いわゆるビーズ織りを作ることで有名な村。現在では数多くの女性たちにとって、ビーズを使ったカトゥー織りは大切な日々の生業のひとつだ。
だが2001年の時点では村でカトゥー織りの織り方を知っている女性はたった7人しかいなかった。そのうちの一人、グエン・ティー・キムランさん(48)は現在、カトゥー織りを教え、広めるリーダーを務める。「だんだんカトゥー織りを織る人が減り、伝統衣装を着る人も減っていった。私も上手に織れたわけではなく、とても下手だった」と振り返る。なんとしてもカトゥー織りを途絶えさせてはいけない。カトゥー族の誇りをもう一度取り戻したい。「そこで私たちはカトゥー織りをベトナム各地のお祭りに持って行くことにしたわ」
首都ハノイ、ベトナム最大の都市ホーチミン、急成長を遂げるダナン、観光客で日々にぎわうホイアンなど、さまざまな街のお祭りへ自分たちの「カトゥー織り」を持って行き、出店した。ところが少数民族の織物はまだ知られていないことも多く、一向に売れない日々が続く。ザラ村の女性たちの中からも「売れないのであれば続けることはない。辛い思いをするなら辞めよう」という声が上がるようになった。
しかしキムランさんは諦めなかった。なぜなら、カトゥー織りを広げるキムランさんのブースの前で足を止める人が少なからずいたからだ。収入にはつながらなかったが、自分たちのカトゥー織りが一部のキン族や外国人の興味を引くシーンを何度も目の当たりにしていた。キムランさんは「カトゥー織りには評価されるだけの価値がある」と確信し始めていた。それからはカトゥー織りをする女性たちを祭りまで連れて行き、彼女たちに外の人にカトゥー織りを評価してもらう体験をさせた。ザラ村の女性たちは根気強くカトゥー織りを街に持って行き、売り続けた。
ある時、World Wide Fund (WWF)のサポートを受け、世界遺産の街ホイアンで販売できることが決まった。2004年から試行販売を始めることになった。街にカトゥー織りを売りに行くというキムランさんの努力がようやく実りつつあった。
■日本のNGO 「FIDR」の存在
実はこのカトゥー族を支援する日本のNGOがある。公益財団法人国際開発救援財団、通称FIDRだ。現在はクァンナム省をはじめ、ベトナムでは合計3つの省で国際協力の支援活動をする団体だ。実は、試行販売を提案したWWFの職員とこのFIDRの職員は互いに知り合いだった。カトゥー族の生活向上を目指してFIDRは2001年、現地での支援を始めた。
「援助団体が来てくれればお金をくれるので何もしなくても生活できる」という心構えが少なからずあったという支援開始初期のカトゥー族。その考えを「自分たちの力で自分たちの生活を良くしよう」という心持ちに変えるため、村ごとに得意なものや魅力のあるものを見つける「宝探し」をFIDR職員と村人たち全員とで行った。
自分たちが誇れるものはなんなのか、カトゥー族の人たちは村ごとに真剣に考えた。当時ザラ村ではすでに「カトゥー織り」を広げたいという流れの中、キムランさんら女性が奮闘し始めていたこともあり、他の村もその流れに乗ろうと「カトゥー織り」を宝として挙げた。しかしこれでは、全くの右にならえという姿勢で、村おこしにはつながらないどころか、村独自の伝統や文化が埋もれてしまう。
そんな中、やはりここでも、キムランさんの言葉がカトゥー族の人たちの考えを変えた。「外の人はカトゥー織りだけに興味をもってくれているんじゃない! カトゥー族の伝統や文化に興味をもってくれているんだ!」
このマインドチェンジは、村ごとに自分たちの強みに誇りをもって外に発信する転機になった。カトゥー族などの少数民族は、キン族が住む都市部ではあまり知られず、情報不足のためにマイナスな偏見をもたれがちだった。だが実際にキムランさんら女性が外に出て行った時、向けられた目は決して負のものだけではなかった。その経験から、カトゥー族オリジナルのもの、つまり普段の自分たちの暮らしをすることでベトナム社会から受け入れられるということにカトゥー族の人たち自身が気づいていったのだ。結果的に、料理が得意な村や、楽器演奏が得意な村など、すべての村がそれぞれの宝を見つけることができた。
FIDRが支援するのは、カトゥー族とベトナム社会との結びつけが中心だ。ベトナム随一の観光都市ホイアンでは数カ月に一度、「カトゥーナイト」というカトゥー族のお祭りが開かれ、カトゥー族が招待される。伝統ダンスや伝統文化を披露し、「未開の人々」だったカトゥー族がホイアンで受け入れられるようになったのだ。カトゥー族としての誇りを取り戻すため、環境が整えられつつある。
■観光協会を立ち上げ
話しは少しさかのぼるが、約10年前、ザラ村と同じタビン社(複数の村の集まり。「町」のようなもの)の村、パスア村出身のホンさんが斬新な提案をする。「頼ってばかりではダメだ。カトゥー族の自分たちが地域の開発を担う必要がある」。彼が打ち出したのが、カトゥー族自身でFIDR発の「地域開発事業」を自主運営したいということ。
これをFIDRは良い機会ととらえ、カトゥー族自身が開発を担うスタイルに変えていった。それから数年後、ホンさんから次世代へ世代交代が行われたころだ。「せっかく見つけた村の宝を外の人に知ってもらいたい」「自分たちの手でカトゥー族の住む地域を豊かにしたい」。すべての村がそのアイデアに共感し、カトゥー族が選んだキーワードは「地域観光」だった。
現在ではカトゥー族観光の窓口の役目を果たす観光協会もある。その観光協会が所属するのが、カトゥー族自身が立ち上げたカトゥー族地域開発協働組合だ。カトゥー織りの伝統を復活させることに成功したカトゥー族のザラ村。ザラ村が所属するタビン社には他に6つの村がある。この協働組合はこのタビン社で2016年に設立された。みんなで見つけた宝をみんなで発展させることで、タビン社のカトゥー族全員の生活を向上させることが目的だ。
FIDRベトナム事務所長、大槻修子氏はこれについて「観光事業を自分たちで運営したいと言い出した時は驚いた。彼ら自身で観光のルールを定め、自立に向けた一歩を自ら踏み出したこと、そのきっかけをFIDRが与えられたことを誇りに思う」と話す。
■ザラ村で起きた新たな変化
ザラ村では、男女の社会的関係を巡っても近年変化が起きている。元々、カトゥー族の社会は男性優位だ。性別によって仕事の内容が違うカトゥー族だが、女性の仕事が男性に比べて多かった。
しかし伝統を守るためにカトゥー織りを復活させ、カトゥー族全体の生活向上のきっかけを作った女性たちに影響を受け、男性たちにも変化が現れた。女性たちの仕事に積極的に協力する男性が増え、「自分は何ができるのか」という考えに基づいて行動するようになったという。
その結果、男性たちが「観光プロジェクト」にも積極的に参加するようになった。観光協会のトップも村の若い男性だ。カトゥー族の人たちは、外からの評価を得たことでカトゥー族の伝統や独自の文化の価値を再認識することができるようになった。少数民族としての伝統の生活に誇りを取り戻した結果、男女の性別による役割分担は減り、いまや、みんなで協力して伝統を守っていくという考え方が主流になりつつある。