インドの教育NGO「ドアステップスクール」を率いるのは82歳のおばあちゃん! 「教育の不平等」撤廃に人生捧げる

インド・プネーを拠点に、日雇い建設労働者の子どもたちが学校の勉強についていけるよう手助けするNGO「ドアステップスクール」の創設者兼代表のラジャニさん。82歳だが、まだまだ現役だインド・プネーを拠点に、日雇い建設労働者の子どもたちが学校の勉強についていけるよう手助けするNGO「ドアステップスクール」の創設者兼代表のラジャニさん。82歳だが、まだまだ現役だ

インド中西部のマハラシュトラ州プネーに、学校をドロップアウト(中退)する子どもたちに手を差し伸べるNGOがある。82歳の女性ラジャニさんが代表を務め、1989年にムンバイで創設した「ドアステップスクール」だ。過去5年間で、読み書きや計算を教えた貧困層の子どもは5000人近い。「これが私の生きがいだ」とラジャニさんは胸を張る。

ラジャニさんは「誰かを助ける仕事がしたい、とずっと思っていた」と振り返る。大学3年生だった18歳のときに、7つ上の男性(現在の夫)と見合い結婚。1年後に大学を卒業したものの、子どもが生まれたため家庭に入った。

転機が訪れたのは34歳のときだ。子どもたちが成長し、自由な時間が増えたことから、ムンバイ大学で社会福祉を学び始めた。卒業後はソーシャルワーカーとして経験を積み、1976年にはムンバイ大学で社会福祉の講義を担当するように。1988年からは四国の大学でも教鞭をとった。「日本はインドと生活が全然違って驚いた。夫も一緒に来日して大学で講義していたのよ」と日本語を交えながらラジャニさんは話す。

来日した同じ年にムンバイでドアステップスクールを設立。ラジャニさんは当時52歳だった。50人のドロップアウトした子どもに読み書きを教えていたという。

ドアステップスクールはいまや、ムンバイから車で西に4時間走ったところにある街プネーにも活動範囲を拡大した。現在の活動の主は、日雇い建設労働者の子どもが学校へ通えるようにすることだ。建設労働者らは、貧しいインド東部などから家族を連れて出稼ぎに来る人が多い。このためマハラシュトラ州の公用語であるマラティー語を話せない。学校の授業についていけず、ドロップアウトする子どもが多いのはこのためだ。

ドアステップスクールはいま、プネーを拠点に、学童保育を手がけたり、図書館を設置したり、移動式のバススクールを運営したり、と8つのプロジェクトを推進する。ラジャニさんは「一番嬉しいのは、私たちが支援し始めたとき小学1年生だった子どもが良い大学へ入学できたときかな」と笑う。

ここ5年でドアステップスクールが読み書きや計算を教えた貧困層の子どもは4万7000人以上に上る。活動は順調だ。だがラジャニさんは引退するのではなく、次のゴールをすでに見据える。

「(ドロップアウトした子どもを助けるという)ドアステップスクールがもつノウハウをインド中のNGOに伝えたい。そうした子どもたちをインド中のNGOが支援できれば、もっと多くの子どもが学校に通えるようになるから」

ラジャニさんによると、インドではもはやカースト制度による差別は問題ではないという。「問題なのは親の学歴。どんな教育を受けられるかは、子どもは選べない。留保制度(低カーストに一定数の議席や大学の入学枠を確保する制度)はカーストではなく、親の学歴で決めるべき」と持論を唱えた。