ミャンマーなどで年間2万人に無料で医療を届ける吉岡秀人医師、「貧しい患者の人生を取り戻したい」

執刀する吉岡医師。途上国では全身麻酔の設備がなく、局所麻酔のみとなるため「時間との勝負」と話す執刀する吉岡医師。途上国では全身麻酔の設備がないところが多く、局所麻酔のみとなるため「時間との勝負」と話す

「医療は患者の命を救うだけではない。人生の質を向上させる」。こう語るのは、ミャンマー、カンボジア、ラオスを中心に年間2万人の患者に無料で医療を届ける医師、吉岡秀人さんだ。吉岡さんは1995年にミャンマーで医療活動をひとり開始。2004年には「医療の届かないところに医療を届ける」をミッションに掲げるNGOジャパンハート(本部:東京都台東区)を立ち上げた。

■口唇裂のせいで学校に行けなかった

医療が人生の質を上げると吉岡さん感じるようになったのは、ミャンマーの少女との出会いがきっかけだ。生まれつき上唇が裂けているこの少女は、自分の口を恥ずかしく思い、学校に行けなくなっていた。

吉岡さんは、裂けていた上唇を手術でつなげた。手術する前はずっと下を向き、発する声も小さかった少女は、手術で笑顔を取り戻した。その後、学校にも通い始めた。

吉岡さんは言う。

「口唇裂のせいで少女の生活は家と畑の往復だけ。やがて親も死んでしまい、ひとり寂しく生きていくというのが彼女のストーリーだった。しかし手術を受け、小学校に復学し、教育を受けられるようになった。今では結婚、出産もした。少女の人生のストーリーが医療によって変わった」

医療は命を救うだけではない。患者の人生の質を向上させることができる、と吉岡さんが強く思った瞬間だった。

■助からなくても手術する

ある日、生後間もない赤ちゃんがミルクを飲まなくなった、と母親が吉岡さんのもとを訪れた。診てみると、がん腫瘍が口の中いっぱいに広がっていた。末期の小児がんだった。

腫瘍の大きさから体中に転移しているのは明らか。手術しても助かる見込みはない。だが吉岡さんは、赤ちゃんの口の中の腫瘍を取り除く手術をした。母親は、乳を飲めるようになった子どもを見て安堵して家に帰っていった。

「たとえ死ぬとわかっていても、赤ちゃんが生まれてきて良かったと家族には感じてほしい。赤ちゃんがミルクをお腹いっぱい飲む、腕の中でスヤスヤ眠る思い出を生きている間に残してあげたい」(吉岡さん)

患者が助からないからといって吉岡さんは諦めることはない。患者、家族の人生が少しでも良くなるよう、最期まで寄り添う。手術もする。この姿勢によって「大切にされている」「ここにいてもいい」と安心するのだという。

■何度でも遊びに来いよ

患者や家族の人生の質を上げるという思いのもと、ジャパンハートが2010年に日本国内で始めたのが「Smile Smile PROJECT」だ。これは、小児がんと闘う子どもが安心して家族旅行に行けるよう、旅行に同伴する医療従事者をジャパンハートが手配するというプロジェクトだ。

小児がんは国内で年間2500人の子どもがかかる病気。7〜8割の子どもが完治する半面、抗がん剤などの副作用で長い間苦しむ。こういった子どもとその家族を少しでも勇気付けられるように、とSmile Smile PROJECTは始まった。

Smile Smile PROJECTを利用して、東京ディズニーランドに遊びに行った北海道の少年のことが忘れられない、と吉岡さんは言う。この少年は、脳腫瘍で長い入院生活を送っていた。髄液が流れないほど腫瘍が大きくなっていたため、飛行機には乗れず、新幹線で上京。日頃の闘病生活を忘れるような夢のひとときを東京ディズニーランドで過ごした。

北海道に帰る前、吉岡さんは上野で少年とその家族と会食した。そこで少年に「何度でも遊びに来いよ」と声をかけた。がんと日々闘う少年に対して「頑張れ」という言葉はかけられない。将来に希望をもってほしいという思いから出た言葉だった。

ところが吉岡さんの言葉も虚しく、少年は数カ月後に亡くなった。程なくして吉岡さんは少年の両親と話す機会があった。両親によると、吉岡さんの「何度でも遊びに来い」という言葉があったから、死期が近かった少年に対して「もう一度、ディズニーランドへ遊びに行こうな」と声をかけられたという。

少年の命を救うことはできなかった。だが苦しむ家族の負担を少し軽くできたのではないかと吉岡さんは振り返る。

■医療費なしの病院をオープン

「貧しかろうが豊かだろうが、みんな平等に良い医療を受ける権利がある」と語る吉岡さんは2018年6月、カンボジアの首都プノンペン近郊のカンダール州に小児がん専門の「ジャパンハートこども医療センター」をオープンさせた。患者は移動費さえ払えれば、無料で医療が受けられる。世界でも珍しい完全寄付で運営される病院だ。

病院の特徴は医療費が無料なだけではない。医療の質も高い。手術の際は日本の大学病院で働く外科医らが執刀するため、日本と変わらない医療を東南アジアの人たちでも受けられる。また、日本の進んだ医療をカンボジアの医師に伝えるという教育機関としての機能も果たす。

ジャパンハート医療センターは、カンボジアだけでなく、他のASEAN(東南アジア諸国連合)諸国からの患者も受け入れる。今後はASEANにとどまらず、インドや中国の子どもたちにも無料の医療を届けていく予定だ。

ミャンマーの子どもたちと一緒に写真に写る吉岡医師

ミャンマーの子どもたちと一緒に写真に写る吉岡医師

Smile Smile PROJECTでキッザニアに訪れた少年

Smile Smile PROJECTでキッザニアに訪れた少年

ジャパンハート子ども医療センターのスタッフと吉岡さん(写真中央)

ジャパンハート子ども医療センターのスタッフと吉岡さん(写真中央)