「ウガンダのネルソン・マンデラ」と呼ばれる男がいる。ボビ・ワイン(本名:ロバート・チャグラニ・センタム)だ。ボビ・ワインは元ミュージシャンで国会議員。2021年1月14日にウガンダで実施される大統領選挙に出馬する。主張するのは、30年以上続くムセベニ大統領の独裁からの自由だ。
ゲットー大統領
「People Power!(Our Power!)Our Power!(People Power!)」
アフリカの革命家トーマス・サンカラ(アフリカのチェ・ゲバラとよばれるブルキナファソの元大統領。故人)を思わせる赤いベレー帽をかぶり、観衆に向かって声を上げる男。彼こそがウガンダの最大野党「国家団結プラットフォーム党(NUP)」の党首で、1月14日のウガンダ大統領選に立候補したボビ・ワイン(38)だ。
ボビ・ワインは、ウガンダの首都カンパラにあるカモーチャというゲットー(スラム)の出身。1990年代後半から音楽活動を始め、2000年代初めには東アフリカでも有数のレゲエとアフロビートのミュージシャンになった。
スラムの貧困層からセレブへと駆け上がったボビ・ワイン。そんな彼にある夜、転機が訪れた。愛車のキャデラックでクラブに乗りつけたとき、ある男が絡んできた。男は国の権力者とつながりがあると言いながら、ボビ・ワインを殴り、銃を突きつけた。「おい、ゲットー、ちょっと成功したからって調子にのるなよ」
このとき、ボビ・ワインは実感した。いくら成功して有名になっても、自分は誰かの奴隷であるということを。実力で得たと思っていた自由はただの幻想だった。
ボビ・ワインはこれ以降、エイズや貧困といった社会問題をテーマにした曲を作り始める。代表作「Ghetto」では、スラムの取り壊しを批判し、「Dembe」では平和な選挙の実施を訴えた。2020年には新型コロナウイルスの感染予防を啓発する「Corona Virus Alert」もリリースした。
慈善活動にも積極的に参加する。2014年には、国際NGOセーブ・ザ・チルドレンの親善大使になった。ボビ・ワインはいつしかウガンダ人の間で「ゲットー大統領」と呼ばれるようになった。
ウガンダでは1986年以降、ムセベニ大統領の政権が続く。一部の政治家と金持ちだけが決定権をもち、スラムの人々や貧しい農民は社会保障もなく、苦しい生活を強いられている。ボビ・ワインは庶民の声を議会に届けるため2017年、カンパラの北部にあるチャドンド東地区から国会議員に立候補。ムセベニ大統領率いる与党「国家抵抗運動党(NRM)」の候補の5倍以上の票を得て当選した。
だが国会議員になっても権力の暴走を止められなかった。国会は2017年、大統領選挙に出馬するための条件である75歳以下という年齢制限を撤廃。これによりムセベニ大統領は2021年の大統領選にも出馬できるようになった。2018年にはSNSの利用者に対して1日200ウガンダシリング(約6円)を課税するSNS税が成立した。
権力者の横暴を止めるには大統領になるしかない。こう決意したボビ・ワインは2019年9月、大統領選への出馬を表明した。
補欠選挙で連戦連勝
ボビ・ワインが訴える独裁政治からの自由とは、人々をエンパワーメントすることだ。ボビ・ワインはケニアの独立メディア「アフリカ・アンセンサード」でこう話す。
「真の自由を得るために必要なのはひとりの救世主ではない。国民ひとりひとりが自由の解放者になることだ。そうすればみんなでリーダーを選べるし、また変えることもできる。これが大統領を支配者にしない唯一の方法だ!」
こう語るボビ・ワインが2018年に始めたのがピープルパワー運動だ。ピープルパワー運動とは、政府の人権侵害や汚職を撤廃し、法の秩序を取り戻そうとする市民社会運動。積極的にデモ活動をし、社会変革を訴える。
特徴的なのは、運動に参加する人の支持政党を問わないことだ。独裁政治を止め民主主義を取り戻す。これに賛同する人は誰でも運動に参加できる。
このピープルパワー運動に多くのウガンダ人が共感した。特に支持を集めたのが人口の8割を占めるとされる35歳以下の若者だ。ほとんどの若者はムセベニ政権しか知らない。いくら声をあげても遮断され、弾圧される。この政治体制に若者は疲れ、諦めていた。
そんな若者に向けてボビ・ワインは「立ち上がれ、一緒に前に進もう。確かに嫌なことばかりだが、諦めずにともに歩もう」(ヒット曲「Sutika」より)と訴えかける。この言葉は、若者たちの心に火をつけた。多くの若者がデモや選挙運動に参加。ボビ・ワインの演説には毎回数千人が詰めかけた。
日本在住のウガンダ人でNUP日本支部の渉外担当を務めるエリザベス・ナンテザさんは「ボビ・ワインは私たちの言葉で語ってくれる本物のリーダーだ」と、ボビ・ワインへの信頼を語る。
野党の政治家もボビ・ワインを支持し、協力するようになった。2018年にウガンダの3つの地区で実施された国会議員の補欠選挙では、野党候補や無所属候補がボビ・ワインと協力して選挙運動を展開。3カ所すべてでNRMの候補を打ち破り、当選した。ボビ・ワインはいつしか、ムセベニ政権打倒の筆頭となっていた。