
「パレスチナ系日本人の僕が歌うからこそ、イスラエルによる悲惨な占領の実態を日本の若者の心に届けられるはずだ」。こう訴えるのは、パレスチナ人の父と日本人の母をもつラッパー、ダニー・ジンさん(20歳)だ。中東の「アルジャジーラ」をはじめ海外の複数のメディアが取り上げる注目株だ。
ジンさんは日本で生まれ育った。だが「いまは日本人としてよりもパレスチナ人としてのアイデンティティが強い」と言う。「パレスチナ人にとって家族愛や同胞愛は何事にも代えがたい。それは離散の辛さがあるから」と続ける。
ジンさんの家族史も多くのパレスチナ人と同様、離散の歴史だ。イスラエルは1948年に勃発した第1次中東戦争の際、パレスチナ人を虐殺し、また約70万人を追放、土地・財産などを奪った。その時、ジンさんの父方の祖母はわずか5歳だった。気づいたときには、姉と2人だけで着の身着のまま、道ばたの雑草で餓えをしのぎながら、現在のイスラエル南部の町から何日も歩き続け、ヨルダン川西岸の町にたどり着いたという。
ジンさんは、実は自分がパレスチナの血を引くことを知らなかった。小学5年生(2016年)のころに初めて彼の父がパレスチナ人である、と姉から打ち明けられた。2001年9月11日に米国で起きた同時多発テロ以降、日本でもイスラム教徒に対する差別や偏見が広がることを恐れた父はそれまで、出自をフランス人であると偽ってジンさんに伝えていた。
「中1ぐらいまでは自分のことを友だちにフランス人とのハーフだと言っていた。ニュースで『イスラム過激派』という言葉を聞くたびに怖いイメージが強かったので、事実を知った時はショックだった」
姉もまた、父の出自について曖昧にしか語ってくれなかった。ジンさんは、知識の空白を埋めるように、インターネットやドキュメンタリー番組などでパレスチナについて調べることにのめり込んでいく。「当時の僕にとって一番ショックだったのは、ナチスがしていたような集団虐殺は第2次世界大戦で終わったと思っていたのに間違いだったこと。いまもパレスチナで進行中だ」
憤りや悲しみを感じるたびにジンさんのなかでパレスチナ人としての自覚が芽生えていく。中学2年生のころ、ラップと出合った。「ままならない現実をそのまま歌うことが抵抗につながるというのがラップの概念」だと知り、衝撃が走る。葛藤を抱えた自分自身に当てはまると感じ、高校生になってラップの曲を作り始めた。
ジンさんの代表曲の一つが『WAR and DEATH』だ。イスラム組織ハマスが2023年10月7日にイスラエルを奇襲し、ハマスへの報復としてイスラエルがパレスチナ自治区ガザを大規模攻撃してから1週間で作った。「(ガザの人たちについて)綿菓子みたく軽い命の価値 繰り返される大惨事 また人が死に、また人が死ぬ」とラップの中で表現した。人が死ぬことの重みは誰もが同じはずだと訴える。
ガザの犠牲者数が激増していく中で制作した曲が『Sad』だ。ジンさんは立て続けにパレスチナの平和を訴える曲を発表することで注目を集めるようになったが、彼自身には葛藤もある。Sadでは「人が死ぬたび増えるリスナー」「冷たい視線も満身創痍 無力な自分に嫌気さす日々」などと心情を吐露する。
ジンさんは4月、新曲『Dream』をリリースした。曲に込めた思いをこう語る。「実は、夢を追えるいまが幸せ。平和だからこそできる。パレスチナの若者は夢をもつことすら難しいと思うから」
Dreamはネット通販サイト「dannyjin base」で税込み3000円。送料別。音楽配信サイトでも聞ける。

ライブで歌うダニー・ジンさん