
ストリートチルドレンを保護し、社会に戻す活動をするセネガル・ダカールのNGOビラージ・ピロット。活動の中心となるのが、ビラージ・ピロットが運営する受け入れセンターだ。毎年400人以上のストリートチルドレンがここに保護され、その後親元に帰ったり、職業訓練を経て就職していく。(第1回)
体罰から逃れるため路上へ
2月中旬のダカール。気温は22度と暑くはないものの、サハラ砂漠から吹く貿易風ハルマッタンの影響で視界がかすむ。そんな中、ダカール市内から公共バスに乗ってダカール州の東部にあるビラージ・ピロットの受け入れセンターに私は向かった。
この近くにあるのがラックローズ(フランス語でピンクの湖という意味)だ。この地名を聞いてピンとくる人もいるかもしれない。ここは自動車レース、パリ・ダカールラリーでゴール地点になっていたところ。レース自体はサウジアラビアに移ってしまったが、1990~2000年代はこの地で熱戦が繰り広げられていた。
バスに揺られること3時間、ビラージ・ピロットの受け入れセンターに到着した。「Bienvenu (ようこそ)」と書かれた看板の奥には平屋の建物が並んでいる。作業着で働く子どももいれば、グラウンドを走り回る子もいる。
「ここの子どもたちのほとんどは元ストリートチルドレン。路上で保護されたり、警察に捕まってここにたどり着いた」
こう説明するのは、ビラージ・ピロットのプロジェクトマネージャーのルーシーだ。セネガルには「浮浪罪」というものがある。物乞いだけして、他に何もしていない場合、警察は子どもであっても捕まえられる。そうした子どもをビラージ・ピロットが引き取るのだ。
セネガルで子どもがストリートチルドレンになるのは、「ダーラ」と呼ばれるコーラン学校が大きく影響している。
ダーラで子どもたちはコーランやアラビア語を学ぶ。寄宿式のダーラも多い。授業料は基本無料だ。敬虔なイスラム教徒が多いセネガルでは子どもをダーラに入れる親は多い。
だがダーラにも“当たり外れ”がある。悪いダーラに入ってしまった子どもはコーランを学ぶどころか、外に出て物乞いを一日中強いられるという。
「ダーラによっては1日で集めてこないといけないお金のノルマがある。それ以下だと鞭で叩かれたり、晩ご飯を与えられなかったりする。子どもたちは苦しい環境に耐えかねてダーラを逃げ出し、ストリートチルドレンになっていく」(ルーシー)
わが子が浮浪児だったとは‥‥
ビラージ・ピロットはこうした過去を抱えるストリートチルドレンを保護すると、まず親探しを始める。子どもから自分の名前、親の名前、出身地を聞き出し、現地に行って家族を探す。
だがその作業は容易ではない。情報は子どもからのみ。親の名前や出身地などはうろ覚えのことも多い。そうした時は大まかな場所を定め、村々を訪ねて回る。田舎の強いネットワークを使って親を見つけ出すという。
ルーシーは笑って話す。
「名前や出身地だけでなく、子どもたちの身体にある目印(セネガルの主要民族のひとつプル族は顔に傷がある)などから民族を予測して、関係者に当たっていく。まさに細糸を手繰り寄せる作業だ」
親を見つけた後は、子どもを再び受け入れてもらうよう説得する。ビラージ・ピロットは子どもがダーラで体罰を受けいていたこと、路上で苦しい生活をしていたことを伝える。親はこの時初めて、子どもがストリートチルドレンになった事実を知るのだ。

「ようこそ」と、セネガルで広く話されるウォロフ語で書かれた黒板。受け入れセンターの入り口に掲げられている。すべての建物はビラージ・ピロットのスタッフと子どもたちが建てた(セネガル・ダカール州東部)

ビラージ・ピロットのプロジェクトマネージャーを務めるルーシー。「一部のダーラ(イスラム学校)の子どもたちは苦しい生活を強いられている」と話す