
その日のうちに仕事をゲット
三刀流に挑戦するヌウェイさんだが、実は6月30日までのおよそ2年間は亡命メディア「タニンダーリタイムス」の専属記者として働いていた。
安定的な仕事。辞めると当然、収入はゼロになる。「就労許可証の更新料を払ったばかりだったし、貯金もほぼゼロだった」
周りの友人や故郷の親からは「仕事を先に見つけて!」とアドバイスされた。でもヌウェイさんは辞めた。
退職した理由のひとつは月給が下がったことだ。2024年12月までは1万2000バーツ(約5万4600円)もらっていたが、1月からは7200バーツ(約3万2800円)と4割も減少。トランプ米大統領が援助機関・米国国際開発庁(USAID)を閉鎖し、タニンダーリタイムスが間接的に受け取っていた支援が打ち切られたことが大きいという。
「資金不足で多くのジャーナリストたちが辞める羽目になった。給料は下がり、残ったスタッフの仕事量は増えていく一方」。亡命メディアが直面する苦しい状況をヌウェイさんはこう説明する。
ヌウェイさんはもともと、生活するための仕事は何でもいいし、選ばなければすぐに見つかるだろうと安易に考えていた。実際、退職日である6月30日の朝に、求人・求職情報が集まるフェイスブックグループ「Chiang Mai Jobs」で募集していた家事手伝いの仕事をその日にゲットした。
多くのミャンマー人が仕事を選びたがり、その結果、無職の期間が続くのとは対照的だ。
家事手伝いの月収(6000バーツ=約2万7300円)だけだと、前職よりも少ない。だが生活コストを下げるために引っ越した。「いまはミャンマー人の友だちとワンルームをシェアしている。だからなんとかなる。家賃の4000バーツ(約1万8200円)を折半しているし」と笑う。
逮捕状が出てゴム農園に逃げ込む
お金がなくてもプラス思考のヌウェイさん。体重42キログラムと痩身で柔和な笑顔とは裏腹に、壮絶な過去の持ち主だった。
ヌウェイさんは、ミャンマー最南端の街ベイ(Myeik。タニンダーリ管区)出身だ。地元の大学では海洋科学を専攻。ところが卒業を目前にしてコロナ禍が発生。大学は閉鎖となった。
その翌年(2021年)の2月1日、今度は国軍がクーデターを起こした。民主主義は一夜にして奪われた。
ヌウェイさんは当時、学生組合の幹部だった。学生の権利、人権、女性の権利などに興味があったから入ったという。
軍事クーデターの後、ヌウェイさんは軍政への抗議活動を始める。授業はボイコット。抗議デモも打った。学生組合のフェイスブックページにそのようすを随時更新。学生だけでなく、大学の教員にも授業をボイコットするよう働きかけた。
だが一連の活動で軍政に目を付けられるように。刑法505条a(反乱を扇動すること、または「恐怖をもたらすこと」を意図した表現をすること)に基づき逮捕状が出た。慌てて、近くのゴム農園に逃げ込んだ。
ひとりで小屋の中に隠れた。「警察や国軍に通報されたらどうしよう」と不安に押しつぶされそうになる。毎日泣いていたという。
「ここにはいられない」。ヌウェイさんは、タイへの脱出を仲介するエージェントに1万3000バーツ(約5万9200円)を払い、ミャンマーに隣接するタイ西部のラチャブリ県へ逃げることにした。
費用の半分は親が負担してくれた。「母はもともと、私が抵抗運動を続けることに反対だった。デモには行くな、とずっと心配してくれていた」(ヌウェイさん)
ヤンゴン出身の母は、1988年8月に大規模な民主化運動が起きたとき、小学4、5年生だった。いとこに連れられて抗議デモに参加したところ、目の前で、ひとりのデモ参加者が国軍に射殺されるのを見た。「母はそれ以来、デモがずっとトラウマになっている」