
夢はパン屋、“別の幸せ”はつかめるか
シャロンさんはそのころ、滞在ビザと就労許可症を取得していた。親子はメーソットから第2の都市チェンマイへ出ることにした。「チェンマイのほうが給料も高いだろうし、チャンスもあると思った」
3カ月前からシャロンさんは母と一緒にチェンマイで暮らす。家賃は2500バーツ(約1万1400円)。教会がサポートしてくれるほか、ミャンマーにとどまる父も毎月750バーツ(約3400円)を送金してくれるという。とはいえ生活はギリギリだ。また支援はいつまで続くかわからない。
チェンマイでは一度、マーケットにあるタイ料理の店で週に3~4回働いた。だが辞めた。いまはフルタイムの仕事を探しているところだ。レストランやマーケットの店など飲食関係が良いという。
仕事は、タイ人が使うタイ語のフェイスブックグループで探す。「こうすれば2000~3000バーツ(9100~1万3600円)のコミッションを払わないで済むから」とシャロンさん。最近は3つの店に応募したが、仕事はまだ決まらない。
ミャンマー難民にとってタイで仕事を見つけるのは至難の業だ。ただこうした事情を踏まえても、おっとり気質のシャロンさんから必死さは感じられない。社交的ではない性格もあってか、家でずっと「平和が再び訪れるように。軍政が終わるように」と祈る日々。
「ミャンマーに戻って家族でまた一緒に住みたい」と繰り返すシャロンさんだが、軍政がそう簡単にひっくり返らないことも覚悟している。そうした中で密かに温めている夢が、小さなパン屋をチェンマイにオープンさせること。「テーブルは5、6個で十分。壁には(アウンサンスーチー氏が率いる民主派の政党である)国民民主連盟(NLD)の旗を飾りたい」と言う。
メニューは、チョコやストロベリーのドーナツ、ブラウニー、シフォンケーキ、バナナケーキ、サンドイッチ、故アウンサン将軍(アウンサンスーチー氏の父)が好きだった「ナンと蒸した豆」など。飲み物はミルクティーに、もちろん「抵抗コーヒー」も。抵抗コーヒーとは、国軍の弾圧に抵抗するミャンマー人たちがコーヒー豆を栽培・販売することで資金を調達し、民主主義を取り戻す戦いを支援するコーヒーのことだ。
「チェンマイでの生活はハッピーではない。だけどミャンマーは危険だから仕方なく来た」とうつむき加減で話すシャロンさん。軍事クーデターで人生を一変させられた“おっとりした普通の女の子”は今後、どう人生を切り開いていくのだろうか。“別の幸せ”をつかめるのだろうか。