
2021年にミャンマーで起きた軍事クーデターを受け、ジャーナリストのナンさん(23歳、女性)とクンさん(25歳、男性)のカップルは、身の危険を感じて隣国タイ北部の都市チェンマイへ脱出した。今は、軍政の監視から逃れるためにチェンマイに拠点を移した亡命メディアでそれぞれ働く。多くの亡命メディアは米国の支援打ち切りで存続が危ぶまれており、「真実を伝えるメディアがなくなってしまうと、ミャンマーの民主化の道が途絶えてしまうのではないか」と2人は語る。
祖国ミャンマーからの脱出
ミャンマーのシャン州に住んでいたナンさんが大学1年生のころ、軍事クーデターが起きた。ナンさんは軍政に反対する意思表示として、通っていた公立のタウンジー大学を退学。「私は軍政のもとで学びたくなかった。軍が統制する教育には大事な知識も、また本当の価値もない。軍が学ばせたいことを学ばせられるだけだ」と語る。
ナンさんはその後、私立の大学に入り直して社会科学を専攻。国軍による人権侵害を追求するミャンマー国内のメディアで報道アナウンサーのインターンを始める。そこで知り合ったのが、ナンさんよりも2歳年上で、今の恋人であるクンさんだ。軍の監視が強くなり、ジャーナリストの拘束や拷問などが日常茶飯事となってくる中、2人は隣国への脱出を考えるようになった。
「ミャンマーでは安心できなかった。私の仕事は軍が許す類のものではなかったので、いつも怯えながら暮らしていた。だからタイに避難する必要があった」。ナンさんはそう語る。
国外への避難を先に決心したのはクンさんだった。2024年のことだ。直接的な動機となったのは国軍から徴兵令状が届いたためだ。「反軍政のメディアで働いていたので、国軍の兵士になることは絶対に嫌だった。徴兵の指定期日が来る前になんとしても国外に身を移したかった」
徴兵令状が出たミャンマー人が出国する場合、出国検査で拘束される可能性があった。そこでクンさんは、非合法な国外避難を実行することを決意。仕事上のコネクションを使って、ミャンマーからタイへの国境を通過する際に便宜を図ってくれる、国境付近のミャンマー内の武装グループ「ワ州連合軍(UWSA)」に助けを求めた。
さらに、国外避難をビジネスとするエージェントにもお金を支払って、車で運んでもらった。男女合わせて13人が2台の車で移動。ミャンマー・シャン州の中に位置するワ自治管区のホーミン付近の国境は森の中を歩いて渡った。2日間にわたる行程だった。ワ州連合軍には1万バーツ(約4万5000円)、エージェントには1万5000バーツ(約6万8000円)を払った。合計するとクンさんがミャンマーにいた時の月収の約3倍に相当する金額だ。
徴兵を逃れたことによる影響はミャンマーに残る家族にも及ぶ。クンさんによれば、徴兵逃れに対する罰則を避けるために家族は毎月5万チャット(約3500円)を払う必要がある。クンさんは2024年2月から現在までの1年半、家族にその額を送金しているという。
2024年7月、ナンさんもクンさんの後を追った。クンさんと違って、徴兵令状が出ていないナンさんは穏便な方法をとることができた。それでも、エージェントへの支払いを含めた費用は合計約3万バーツ(13万6000円)。日常的に国境を越えて働くミャンマー人が使う1週間の期限つきの許可証を使い、出国した。

シャン州のダヌー族出身のナンさん(23歳)。2024年7月にミャンマーのタチレイからタイのメーサイに入り、現在はチェンマイに避難中。安全にメディアの仕事をできるようになったものの、タイの物価は上昇しており、亡命メディアでの給料だけでは生活は厳しい