PDFの兵士として戦い、障害者となったツリー(コードネーム)。取材中はロンジーをはいていた。ザガイン管区とカチン州の境にあるインドー出身。軍事クーデターが起きたときは、ヤンゴンの携帯電話ショップに勤務していた。自分は何かをすべきか、何ができるだろう、と必死に考えたという(タイのチェンマイで撮影)ミャンマー国軍と戦う民主派の武装勢力「国民防衛隊(PDF)」の兵士だったときのコードネームは「ツリー」。28歳の彼はおよそ2年前、首都ネピドーの近くの戦闘で、頭部に重傷を負い、障害者となった。にもかかわらず「悪いのはミャンマー国軍のミンアウンフライン最高司令官ではない。政治システムだ」と語る。現在は元兵士ら10人とタイ・チェンマイで共同生活する。
KNUに信用されない、訓練場所を自ら作る
――PDFの兵士になろうと決意したのはなぜか。
「2021年2月1日にミャンマーで軍事クーデターが起きた。しばらく待っても国軍の姿勢が変わらなかったから、市民は路上に繰り出し、抗議のデモを始めた。私も毎日参加した。少し怖かった。
シールド(防弾板)を持ち、プラスチックのヘルメットを被った。こんなヘルメットはいま思えば意味がなく、邪魔なだけだった。いつでも走れるよう、ロンジー(腰に巻く布)ではなくズボンをはいた。
国軍はデモ隊に発砲し始めた。威嚇するだけだと思っていたら、実弾で市民を殺しに来た。平和的なやり方で民主主義を手に入れるのはもう無理だと悟った。6月に、銃を持って戦おうと決めた。
ザガイン管区とカチン州の境にある故郷のインドーへいったん戻り、親にお別れを言いに行った。私がPDFの兵士になることを母は心配し、隠れて泣いていた。父には『自分が信じたことをやればいい』と言われた」
――どうやってPDFの兵士になったのか。
「どこの部隊で訓練を受けるべきかをまず考えた。
選択肢は、カチンの武装勢力『カチン独立軍(KIA)』、シャン州タウンジーの『パオ民族組織(PNO)』(国軍派)、タウンジーの『シャン州再建評議会(RCSS)』(国軍寄り)、ラカイン州を拠点とする武装勢力『アラカン軍(AA)』、カレン族の武装勢力『カレン民族同盟(KNU)』などだ。
私はKNUを選んだ。反軍政の立場が明確だったし、中央政府と長年戦ってきた実績もあった。
戦闘のやり方を学ぼうと、つてをたどって、KNUが支配するタングー(カレン州のすぐ隣のバゴー管区の街)の近くに行った。この日は2021年6月19日で、奇しくも民主化の象徴アウンサンスーチー氏の誕生日だった」
――そこでKNUから軍事訓練を受けたのか。
「話はそう簡単ではなかった。KNUからなかなか信用してもらえず、彼らの訓練キャンプを使わせてもらえない。見せてすらもらえなかった。信用を得るまでに1年かかった。
訓練する場がないので、みんなで森を切り開くところから始めた。『KNUの扱いはひどい』と怒って、何人かはヤンゴンなどへ帰っていった。ただカレン族がミャンマー中央政府(ビルマ族)との闘いでずっと苦しんできたことを考えると、私には彼らの気持ちもわかった。
自前の訓練キャンプを作っても、KNUの教官はなかなか指導に来てくれなかった」
――ではどうしたのか。
「仕方がないので、『連邦議会代表委員会(CRPH)』に教官を派遣してくれるよう頼んだ。CRPHとは、軍事クーデターで解散させられたものの、本来なら2020年の選挙で当選していた、アウンサンスーチー氏率いる民主派政党「国民民主連盟(NLD)」の議員らが結成した議会だ。
ただ教官は戦闘のプロではなかった。おそらくKNUは、われわれの本気度を測っていたのだと思う。
私と一緒にいた、『PDFの兵士になる』と訓練中の若者は当時300人ぐらいだった。寄付とCRPHからの支援をもとに生活していた」














