【環境と開発の接点(3)】環境意識はどう変える? “目立ちたがり”の国民性を刺激!~「環境のフリーペーパー」を発行してみた~

2007.01.01紙面の写真。オリジナルはカラーだが、配っているものは白黒コピー(250キロ離れた街までコピーしに行く)。コピーの質が悪く、線が縦に入ったり、写真が真っ黒になったりすることもある。「環境はカッコいい」というメッセージを伝えるためにも、コピーの質を上げたいのだが‥‥

環境教育の大きな使命のひとつが、住民の環境意識を高めることだ。それにはいろんなやり方がある。学校で環境の授業をしてもいいし、ワークショップを開いてもいい。ごみ拾いなどのイベントを打つという手もある。私は「環境をテーマにしたフリーペーパー」を作成・発行するという手段を活動の柱に選んだ。このプロジェクトの途中経過をレポートする。

■神聖なクリスマスにごみを散らかさないで!

「みんな無関心なのよ」

マリパ(ベネズエラ南東部の村。人口およそ3000人)の高校生ダジャナ・ダサさん(16歳)は苦笑いしながら首を横に振った。

これは、環境をテーマにしたフリーペーパーについてどんな反響があるのかと尋ねてみたときのこと。予想通りの答えだったとはいえ、やっぱりガックリきた。しかし考えてみれば、最初からマリパの人たちが環境に興味を示してくれるのなら、このようなものを発行する必要もないし、第一、私がここに派遣すらされなかったはず、と思い直した。

「でもみんな一応は読んでくれているの? 道端には落ちていないみたいだけど‥‥」

「もちろん読んでいるよ。隅から隅まで読んでいるかどうかはわかんないけど。娯楽のページとか、焼き飯の作り方(料理面)、日本のお辞儀の話(文化面)はみんな好きだよ」

2006年の11月から私は、環境をテーマに掲げたフリーペーパーを、任地のマリパで毎月発行し始めた(150~200部)。といっても、資金がゼロに近いこともあり、A4サイズの紙3~4枚にコピーしただけの代物だが。

タイトルは「Milagro del Caura」(ミラグロ・デル・カウラ)。日本語に訳すと「カウラの奇跡」という意味だ。カウラというのは、村のすぐ脇を流れる川の名前で、いわばマリパの象徴。そこで住民の環境意識を高めていこう、と現状を知る人間にとってみれば“奇跡”に近いことを成し遂げたいという願望を込めたネーミングだ。

ダジャナさんは12月号で巻頭の記事を書いた。将来のマリパを背負って立つ若者(女性)だ。

記事のタイトルは「自然と調和した新年~エコロジーなクリスマスを送るには~」。

内容をかいつまんで紹介すると、「クリスマスは特別な日。愛、喜び、平和をみんなで分かち合うときに、ごみを路上に捨て、汚していいのだろうか。村はどうやってきれいにする? 市役所にごみ箱を設置してもらい、その代わりに私たちはごみをポイ捨てせず、ごみ箱にきちんと入れると約束する、というのはどうだろう。12月24日にはそれぞれの家庭でアジャカ(ベネズエラのクリスマス料理)を作る。そのときにカウラが育む水、空気、大地の恵みを感じてみよう。大きく息を吸って。また新年は、使い捨てのプラスチックのコップなどごみになるものはなるたけ使わずに、自然と調和して祝おう」。

このようなメッセージは一度や二度紙に刷って配ったところで本質は伝わらないし、すぐには何も変わらないのは百も承知。けれども小さくていいから“環境意識の種”をまき続けることで、10~20年後にひとりでも多くの人の心の中に“地球にやさしい気持ち”が芽吹いてくれれば、と私は願っている。

■書き手・読み手の中心は高校生

「ミラグロ・デル・カウラ」の書き手のほとんどは10代半ばから20代前半の若者だ。とりわけ中核となっているのが高校生たち(ベネズエラの教育制度は小学校6年、高校5年で、いわゆる“中学校”はない)。というのは、大学生の世代の多く、とりわけ記事を書いてくれそうな人たちは、進学のために街に出て行ってしまい、村に残っていないという事情もあるからだ。

読み手もまた、高校生を一番のターゲットに想定している。早い話、書き手の友だち、きょうだい、母親、家族、そして近所の親せきへ。高校生を核にして、地球に対する興味が村全体に広がるという青写真を描く。

50歳の男に「地球は生きているんだよ」と直接説いたところで、何も感じないのは火を見るよりも明らか。半世紀にわたってポイ捨てしてきた人に「さあ行動パターンを変えよう」と声をかけても効果は望めない。それより自分の子どもから「パパ、ポイ捨てはいけないんだよ!」と何度も注意されたほうが子どもの手前、堂々とポイ捨てしにくくなるだろう。

若い世代を巻き込むため、最重視しているのは楽しい紙面を編集するということ。環境ネタだけで埋めるのではなく、娯楽や料理、スポーツ、文化などの面を設けて“読みたくなる魅力”を追求し、「環境はとても大事で、守らなくちゃいけません」などの抽象的な説教じみた作文は載せない。当たり前だが、フリーペーパーと言えども作っただけでは自己満足に終わってしまう。

11月、12月号と娯楽面を担当したネイラ・コレアさん(16歳)は自分で、どんな内容がいいか考えた。出てきたものは、カウラ川の魚やベネズエラの木の名前を“ソパ・デ・レトラス”(アルファベットの集まりの中から“指定された単語”を探す遊び)にしたもの。

「単純にクイズを作ろうとしたけど、どうせだったら、環境にちょっとでも関係があるほうがいいかなと思って。みんなソパ・デ・レトラスは好きだし」

環境の記事が載っている一面からきちんと読んでいく人はほぼ皆無。楽しみながら、ハッと気がついたら“環境の世界”に足を踏み入れていた――なんてことができれば理想だ。

■環境教育が若者の未来を切り開く!?

記事はすべて署名入り。これは、目だちたがりのベネズエラ人にとってはうれしくてたまらないらしい。書き手のモチベーションがグンと上がるのだ。

「私にも書かせて。おしゃれの仕方なんてコーナーはどう?」

最近は、私が村を歩いていると売り込みの声がかかるようになった。「趣旨からだいぶ外れるんだけどなあ」と言いたいのをグッとこらえて「じゃ、まずやってみて」。見本誌や創刊号を出す前には書き手を探すのに苦労したことを思えば、何はともあれ格段の進歩だ。

ただ大きな問題が2つある。1つは「やる」と彼らが断言したところで、その半分は実際にはやらない。借金取りのように毎日原稿を催促して歩くわけだが、ここまでやる必要があるのか、と悩むときもある。

テーマは書き手と私で話し合いながら絞り込んでいき、詳細はできるだけ本人に考えるよう仕向ける。もしインタビューが必要ならば日時をセッティングし、こういう質問をしてみよう、とヒントを与えるのだが、ひどい場合は当日来ない。またインタビューの最中もメモをあまり取らない。さらにすぐに書き始めればいいのだけれど、1週間経って「そろそろ書くか」と重い腰を上げる人も。詳細は忘れてしまうのだろう、内容が全然違ったりする。途中までやって「もうだめ!」と放り投げる人もいる。さらにはうそを平気で書く人さえいる。

「ごみの3割がカウラ川に捨てられるって書いてあるけど、本当なの?」

「もちろん!」

「誰が言ったの?」

「えっ私の妹」

「妹? 高校生でしょ。どうやって知ったの?」

「‥‥」

もう1つの問題は、書きあがったもののレベルの低さ(内容ではない)。スペイン語のスペルは間違いだらけだし、文章になっていなかったり、話があっちこっち飛びまくっていたり。外国人の私が言うのも偉そうだけれど、スペイン語がここまで書けないとは想像だにしなかった。ひどい原稿は、間違いが多すぎて、半分も理解できない。4~5回書き直してもらうこともざらだ。

環境教育は無限の可能性を秘める、といわれる。フリーペーパーの作成もまさにそう。環境を題材に、環境はもちろん、スペイン語、作文技術、物事の考え方、社会、理科、文化、コンピューター、コミュニケーション、責任感‥‥などを身につけることができるのだ。本屋もなく、外部からやってくる教師も学校の授業を休みがち。現代から置いていかれたこの村で生きる彼らにとって、環境教育の意義は深い。

創刊号(11月号)で広場の清掃人をインタビューしたマリア・リバスさん(15歳)は目を輝かせながら将来の夢を語った。「私、ジャーナリストになりたいかも」。ミラグロ・デル・カウラが、環境を切り口に、若者の将来の扉を開くことができれば言うことはない。(青年海外協力隊 長光大慈)