【環境と開発の接点(12)】山あり谷ありだった環境教育活動、“変わったもの”と“変わらなかったもの”~青年海外協力隊員の言い訳~

2007.12.01市役所が設置した、おしゃれなごみ箱。上のボードには「麻薬に『ノー』と言いましょう」と書かれてある。ごみ箱があるにもかかわらず、周りはごみだらけ。マリパのほとんどの人はこれまで「外にごみ箱がないからポイ捨てをする。すべての通りの角にごみ箱を置けばいい」と、ごみのポイ捨てを他のせいにしてきた。それに対して私は「すべての角にごみ箱が置いてある国や町なんてない。ごみ箱は、ひとりひとりの心の中に自分で作るもんだ」と言い続けてきた

ベネズエラに来て1年9カ月。青年海外協力隊の任期である2年が満了しようとするいま、これまでの仕事を振り返る日々を送っている。私はいつも「なんでこうなっちゃうの。自分は何をやっているのだろう」という悩みを抱えていた。最終回は、途上国で活動する難しさを打ち明けてみたい。

■植えた木は燃やされ、みんなの資金は仲間が横領

「せっかくみんなでサバンナに植えたモリッチェ(ヤシの木の一種)の苗木が真っ黒焦げになっている! 誰かが火をつけたのよ!」

半べそをかきながら、環境クラブのメンバー数人が私のところに駆け込んできた。

ベネズエラは国を挙げて植林を推進している。「ミッション・アルボル」(ミッション=計画、アルボル=木という意味)という名の国策で、石油収入で潤う政府が、スコップ代などの作業費から人件費まですべてのコストを負担する。苗木があれば、それも提供する。要するに、雇用を生み出しながら木を増やしていく、というのが狙い。うまくすれば、木を植えることだけで生計を立てることだって可能となる仕組みだ。

私が暮らすマリパ(オリノコ川に近い人口約3000の村)の環境クラブも、このスキームを活用してモリッチェを植林するプロジェクトを進めていた。環境省の書類審査もパスして、苗木もみんなで集めてきた。

ところが一向に植える気配がない。そうこうしているうちに半年近くが経ってしまった。ある日の集まりで、業を煮やした60代のメンバーが、このプロジェクトの中心となっている10~20代の若者たちを叱り飛ばした。

「なんでさっさと植えないんだ。急がないと雨季が終わってしまうぞ。今度の週末にやろう」

そして来たる土曜日、案の定というか、集合場所に誰も来なかった。そういうウダウダを繰り返し、雨季の終わりギリギリになって、ようやくみんな重い腰を上げた。太陽が照りつける中、1週間かけて1000本以上のモリッチェを植えた。

ところがその約1カ月後、何者かがその苗木に火を放ったのだ。一面真っ黒。無残にも苗木のほとんどが燃えてしまっていた。

現場を目撃したネイラ・コレアさん(17歳)は「一生懸命植えたのに。本当に腹が立つ。何も考えていない人たちの仕業だわ。これで私たちの活動の意味がなくなっちゃった‥‥」と目に涙を浮かべた。

このプロジェクト、さらに別の事件があった。国から提供された資金を、コアメンバーのひとり(20代前半の男性)が使い込んだのだ。金額は3万円(正規レートで換算。以下同じ)。たかが3万円と軽視してはいけない。この裏切りがみんなの意欲をそぎ、夢をぶち壊したのだ。

植えた木は焼かれ、資金は仲間のひとりが横領する。有志の植林プロジェクトはこの2つの理由で頓挫してしまった。

■環境フリーペーパーの資金を盗もうとした女子高生

1年ちょっと前に創刊した環境フリーペーパー「ミラグロ・デル・カウラ」(ベネズエラ環境レポート第3回でとりあげた)も一時は軌道に乗りそうだった。いくつかの組織を相手にプレゼンを重ね、環境のイベントでも配布した結果、それなりの評判を勝ち得ることに成功。それまではずっと私が自腹を切ってきたが、在ベネズエラのフィンランド大使館が援助してくれるようになったのだ(コピー代として1カ月約3万円)。

編集長として、大学を卒業してマリパに戻ってきたアナ・カルバハルさん(22歳)を指名し(優秀な人材は街に出て行ってしまうので、仕事を任せられる人を探すのは大変)、私が目をかけていた16歳の女子高生をアシスタントに据えた(マリパの高校は午前か午後のどちらしか授業がないので、空いた時間がたくさんある)。アナさんは米国系の非政府組織「ワイルドライフ・コンサベーション・ソサエティ」(WCS)から約4万円、そしてアシスタントはフィンランド大使館から約1万円をそれぞれ毎月もらえるようになった。

このフリーペーパーは当初、完全にボランティアベースで制作していた。ところが原稿がどうしても集まらない。「カネを払わなきゃ、誰だって仕事なんかしないさ」とマリパの人たちが口々に言うので、ならばと、このプロジェクトに賛同してくれた人たちの大きな助けを借りて、報酬を出せる体制を整えた。これで一気にフリーペーパー作りを加速させる目論見だった。

アナさんは取材から執筆、レイアウト、それに他の書き手に対する原稿の催促――まで頑張った。仕事はゆっくりだったが、口だけでなく、責任感もあるし、彼女のやり方を私はとても気に入っていた。

しかし、環境省からインディヘナ省に転職した、私の元同僚が、彼女に約7万円の月給(それまでの2倍近く)を提示し、引き抜いてしまったのだ。当初はフリーペーパーの仕事も手伝ってくれたが、忙しくなってきたことや、またWCS内の権力争いに巻き込まれたこと(環境フリーペーパーの“手柄だけ”を欲しがる人たちが出てきた)も追い討ちをかけ、一線から離れてしまった。

さらに期待の星のはずだったアシスタントが、悲しい事件を起こした。誰もいないときにチェックを盗み出し、フィンランド大使館から送られてきた資金を現金化して自分のポケットに入れようとしたのだ。未遂に終わったものの、これは私たちに大きなショックを与えた。

彼女は確かに、マリパでも貧しい家の出だ。同じ父親の血を分けたきょうだいが24人もいる。それもあって月給を支払えるようにと、こちらは努力してきたというのに‥‥。

結局のところ、資金を獲得したからといってアウトプットは何一つ変わらなかった。むしろややこしい事態に陥り、絶望感だけが私の心に深く刻み込まれた。

■ドタキャンが当たり前の授業やワークショップ

私は大学でも何度となく授業をしてきた。そのひとつがベネズエラ・ボリバリアーナ大学(UBV)。この大学は、チェベス大統領の肝いりで運営される“オープン大学”で、ほぼ誰もが入学できる。僻地にもキャンパスがあり(校舎は借り物)、人口数百人の村にもある。

私はかつて毎週土曜日朝5時に起き、クルマで片道2時間かけて大学に行き、エコロジーのクラスを受けもっていた。

ところが着くと、学生がほとんど来ていないことが少なからずあった。授業に魅力がないからか? そうかもしれない。ただそれ以上に深刻なのは、大学が僻地にあり、交通手段がなさすぎることだった。学生を運ぶスクールバスが一応出ているものの、故障も多く、理解不能なぐらい頻繁に運休する。

ではなぜ僻地に大学をつくるのか。UBVの創立趣旨は、これまで教育機会に恵まれなかった人たちにも学ぶチャンスを与えようというもの。つまり、対象となる人たちは僻地出身者も多いのだ。

ワークショップも何度かやった。1日のワークショップを私が担当する場合、スペイン語を使うこともあって、どんなにテキパキ準備しても最低数日。赴任当初は1週間かかっていた。ちょっとした専門用語さえ辞書に出ていないし‥‥。そしていざ当日、あっさりとキャンセルになることはザラだった。成果ゼロ。

この国の命令系統は、極端なトップダウン方式だ。ワークショップに出席したくても、「○×やってくれ」と上司が鶴の一言を発した瞬間、そちらを優先せざるをえない。誰も来なければ、必然的に私の準備は水の泡と化してしまう。

■マリパの広場におしゃれなごみ箱がお目見え!

言い訳をざっと書いてみたところで、「途上国だから仕方ないじゃないか」と指摘される読者の方もおられるだろう。

それはその通り。ただひとつ忘れてならないのは、こうした気持ちを味わっているのはなにも外国人の私だけでなく、地元の人も同じということ。一部のベネズエラ人いわく「真面目にやった者がバカをみる社会」。

成果を出しにくい環境の中で、いかにしてモチベーションをキープしていくか。投げやりになっては何も始まらない。とはいえ、もがき続けたところで変わったのか。変化がないのであれば何をしに来たのか――。

去年の暮れ、ひとつ良いことがあった。市役所がマリパの広場にごみ箱を4つ設置したのだ。私のこれまでの活動と関係があるかどうかは微妙だが、そんなことはさして重要ではない。

ごみ箱の中をのぞくと、ごみがいっぱいで溢れそうなものもあれば、ほとんど空っぽのものもある。ごみ箱があっても、その周りにはビニール袋や紙切れが散らかっている。ポイ捨てはそう簡単には減らない。

ごみが減ろうと減るまいと、2008年3月末に私はマリパを離れ、日本に帰国する。しかし彼らはずっとここに住み続ける。(終わり)