ミャンマーの“本当の民主化”に必要なこととは? “1823年の呪縛”からの脱却

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2011年3月に民主化し、新たな市場として世界から注目を集めるミャンマー(ビルマ)。いまや成田―ヤンゴン間の直行便(ビジネスクラス)も週3回飛ぶようになった。

「変わるビルマ~世界の市民と共に~」と題した学習会を、国際人権NGOアムネスティの町田グループは12月1日、東京・町田で開催した。講師を務めたのは、ビルマ事情に詳しい上智大学外国語学部の根本敬教授(写真)。ビルマの現状について「いまのビルマは、軍事政権の思うままだったマイナスの状況からゼロへと戻る過程でしかない。これからプラスの状態になるためには『軍事色の強い2008年憲法』と『国民になれない少数民族』という“2つの問題”を解決することが避けて通れない」と語った。

2008年に施行された現行憲法は、大統領の資格を「軍出身でなくてはならない」と規定している。また、大統領が非常事態を宣言した際は、全権が軍指令官に移譲されるとするなど、軍の特権を保持しているのが特徴だ。さらに閣僚の約8割、国会議員の6割強はいまも軍出身者が占めるなど、民主化したといっても軍の影響は依然として大きい。

少数民族に対する差別・残虐行為も終わったわけではない。西部のラカイン州に多い少数民族ロヒンギャ(イスラム教徒)を排除する動きはますます強まるばかりだ。ビルマはこれまでに20万以上の難民を出しており、東南アジアでは最大の難民排出国。東部のタイ側国境沿いにもいまも難民キャンプが10カ所あり、約8万人の難民が暮らしている。

英国が分けた2つのビルマ

ビルマが抱える2つの問題の背景にあるのが、ビルマ人の定義と歴史認識だ。現在までにビルマがたどってきたその複雑な歩みは意外と知られていない。ビルマの現状を理解するうえでカギとなっている年が「1823年」だ。

軍事政権時代から政府が定めるビルマ国民の基準は①上座仏教徒であること②ビルマ語を国語と認めること③英国(帝国主義)と日本(ファシズム)の支配を倒し、国家の独立に携わった民族であること④中央平野部の旧王都一帯を“故郷”とすること――の4つ。このうち③と④が特に問題視されている。

インドを統治していた英国は1824年、ビルマに侵攻し、国土の4分の1を占領した。インド・ビルマ間の国境がなくなってしまったことで、インドからベンガル人が流入してきた。その後、3度にわたる英緬戦争を経て、英国は1885年にビルマ全土を治めた。ビルマは1885~1947年、1942年から3年間の日本軍統治期間を除き、英国の支配下に置かれた。

重要なのは、英国の統治時代に、ビルマは2つに区別されていたことだ。ひとつは、英国が直接統治した、首都ヤンゴンをはじめ、平野部を中心とするエリア。これは「管区ビルマ」と呼ばれ、国土の6割を占めた。

もうひとつは、間接支配にとどまった「辺境ビルマ」。これは、高原や山岳地帯を中心とするエリア。管区ビルマと辺境ビルマの交流は厳しく制限されていた。

勘違いから生まれたビルマ人の基準

管区ビルマでは1920年ごろから、英国からの独立を願うビルマナショナリズムが台頭し始めた。ところが辺境ビルマでは、独立の直前まで盛り上がりをみせることはなかったという。

ビルマは1948年、英国から独立する。その際に、管区ビルマを中心とした当時の軍事政権は、管区ビルマ軍の功績として「独立を成し遂げた」と国民に広くアピールした。

根本教授は「管区ビルマを中心とする当時の政権が、独立の功績を強烈に国民に印象付けたことにより、ビルマ国民の間では『1824年の英国侵略より前に住んでいた民族こそが純粋なビルマ国民であり、それ以降に入ってきた民族は非土着民族』との認識が浸透した」と指摘する。

ビルマの国籍法は「1823年以前に住んでいた民族こそがビルマ人」との認識に立ち、人口の7割を占めるバマー族(ビルマ族)をはじめ、カレン族、モン族など135の民族を「正規の国民」として扱う。

だが1824年以降に入ってきた人と「正規の国民」との混血を「準国民」、それ以外は「外国人」、法的な手続きにより帰化した人を「帰化国民」として差別している。準国民と帰化国民は公務員にはなれるが、管理職へは昇進できない。また理系の大学に入学できないなどの制約がある。

ただ実際は、1823年以前にも、中国系やアフガン系、インド系をはじめ多くの民族が住んでいたことは古い資料により証明されている。

今こそ国際社会の声が必要

一般的なビルマ人の間では、無意識のうちに1823年を基準に、国民を「純粋なビルマ国民」と「それ以外」に区別する排他的ナショナリズムが浸透している。このため現行の国籍法を改正することに大きな反発がある。民主化の象徴とされるアウン・サン・スー・チー氏も例外ではないという。

ミャンマー政府は、公認する135民族以外の少数民族に対して、「外国人としてならば国内での生活を認める」との見解を示している。言い換えれば、ロヒンギャをはじめとするいくつかの民族は「国民」として認めないということだ。

この差別的扱いについてアウン・サン・スー・チー氏はかつて「どの民族も平等に権利をもたなければならない」と発言したことがある。ところが、支持層から「少数民族に肩入れするとは何事だ」と強い反発を受けた。自身の政治活動に支障をきたしかねないため、アウン・サン・スー・チー氏でさえ、少数民族の問題について公の場での発言を控えている。

「軍事色の強い2008年憲法」と「国民になれない少数民族」という根深くて、センシティブな2つの問題。根本教授は「オバマ大統領は再選が決まった後、最初の外交でビルマを訪れた。これは『もう軍事政権には後戻りできないぞ』というメッセージを暗に含んでいる。軍の影響の強い形ではあるが民主化を達成したいまこそ、国際社会は強く、“本当の民主化”へ移行するよう働きかけ、また少数民族の人権保護を求めていくことが必要だ」と訴えた。(依岡意人)