台風ハイエンの被災地バンタヤンの島民ら「家がほしい」、交錯する復興の光と影

死者6000人 以上を出したスーパー台風ハイエンの被災地のひとつ、フィリピン・セブ島の北に位置するバンタヤン島ではいまだ、多くの住民は家を失ったままだ。倒壊した 建物や災害用シェルターも残っている。ところが観光客向けのコテージやレストランは再建され、営業をすでに再開した。ハイエンがフィリピン中部に上陸したのは2013年11月上旬。10カ月経った今、復興の光と影を追ってみた。

被災者にとって最大の悩みは、生活の基盤となる「家」だ。ウェブ新聞のエポック・タイムズによると、この台風で、バンタヤン島では95~98%の家が破壊されたという。だが住民らは「フィリピン政府からの補助金は一切ない」と口をそろえる。多くの国際機関や非政府組織(NGO)が緊急支援で現地入りしたが、感謝の声と同時に「不公平だ」との不満も住民の間では聞かれる。

■「お金が足りない…」、被災者のため息

国際復興支援プラットフォームアジア支部によると、ハイエンによる農業・漁業などの被害額は173億2100万ペソ(約433億円)に上った(2013年12月時点)。

サリサリストア(フィリピン式雑貨屋)を営む女性(41)は、台風が上陸した時、夫と3人 の子どもと自宅にいた。家族は全員無事だったものの、家と、少し離れた場所にあったサリサリストアは全壊。「台風から何日かして、警察から『売り物が盗難 にあっている』と連絡があった。それで初めて、店が壊れていると知った」。サリサリストアはその後、ローンを組んで建て直したが、売り上げだけでは家を再 建できず、今は兄の家に居候している。「今の一番の悩みは、家がないこと。早く家を再建したい」と語る。

シャーリーさん(41)も、今の一番の夢は、家を建て直すことだ。「サリサリストアか、昔やっていた畜産の仕事がしたい」と再出発を夢見ている。仕事は数年前から、外国人客向けのコテージの清掃。「23軒のコテージを掃除する。本当に大変」と汗を拭う。台風が来る前はまかない付きで1日100ペソ(約250円)だった給料は、台風後はまかないなしの150ペソ(約375円)へと実質的に下がった。「ご飯が出ないのは辛い。夫が3年前に亡くなったから、私しか稼ぎ手がいない。でも、この収入では家を建てられない」

■「私に援助がないのは不公平」と不満も

家を再建したいというバンタヤン島民の要望に対し、フィリピン政府は一切の補助金を出していないという。資金を援助するのは、地元の名士や国際機関、NGOなどだ。家が全壊したというラサリーさん(38)は、ポーランドのNGOから融資を受け、家の再建にこぎつけた。「もう少しで工事が終わる。新しい家に住むのが楽しみ」と笑顔を見せた。

対照的に、こうした援助に対し、不公平だという声もある。マイラさん(30)は現在、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のシェルターの隣で暮らす。彼女の家は、工事が終わった1カ月半後、台風によって半壊。夫のきょうだいの協力で、1週 間以内にだいたいの修理を終えることができた。ところがその後やってきた援助機関の職員は、彼女に対し何もしなかった。「その人たちは、私たちの家はもう 住める状態だから、援助はしないと言った。私の家だって、まだ工事が終わっていないのに。不公平だと思う」と、怒りと戸惑いの表情を浮かべた。

結局、これまでに受け取った援助は、壁を直すのに受け取ったトタン3枚だけ。彼女の夫は大工で、1日200ペソの収入があり、ボーナスも出るが、「食費と教育費に使ってしまって、家を再建することには回せない」と嘆く。