「家電を買うなら寄進するわ」、ミャンマーの貧困家庭で見つけた“清貧の幸せ”

Day4 写真②「清貧」が幸せにつながると話すキンチーニエンさん(左)。椅子に座っているのが両親(ヤンゴン市シュエピタ地区で)

ミャンマー・ヤンゴン市北部のシュエピタ地区に住む、足腰の不自由な高齢の両親を抱える一家がある。生活は貧しいが幸せだという。物質的な豊かさにとらわれない一家に幸せをもたらすのは、「清貧」をキーワードとする仏教の信仰だった。

キンチーニエンさん(45)は、タクシー運転手の夫と自身の両親と4人暮らし。自らが経営する駄菓子屋の収入は少なく、世帯月収30万チャット(約3万円)の85%は夫が稼いでくる。自分たちで建てたという竹と木材でできた8畳ほどの家は、シュエピタ地区の中で貧しい人が暮らす一角にある。電気も水道も通っていない。彼女の両親(父74歳、母85歳)は足腰が弱く、母には痴呆の症状が出始めたという。

こうした苦しい状況をキンさんは困難とは思わない。「幸せ」と言い切る。ミャンマーの幸福度指数は119位(対象は156カ国)というデータもあり、物質的な豊かさを求める人は決して少なくないが、キンさん一家は違う。

「仏教で一番大切なのは『清貧』に生きること。清貧とは、現状に満足し、必要以上のものを欲しないこと。清貧であれば、来世も良い生活を送ることができる」

清貧に生きることに幸せを感じると話すキンさん一家は敬虔な仏教徒で、日々の生活で「清貧な行い」を実践している。

そのひとつが寄進だ。キンさん一家は毎朝欠かさず、托鉢で家の前を通る僧侶に2500チャット(約250円)と食べ物を差し出す。文化に根差した寄進はミャンマーでは珍しくないが、「毎日」というのは稀だ。

キンさん一家の場合、1日の出費の約半分を寄進が占める。「広い家に住んだり、電化製品を買ったりするお金があったら寄進に充てるわ。そこの冷蔵庫にもバッテリー(このエリアは充電済みのバッテリーを借り、電気を調達する)をつなげていないから、動いてないのよ」とキンさんは語る。

瞑想も日々の日課だ。キンさんの一番好きな時間は、仏壇に拝む時間と瞑想する時間。キンさんの家は粗末な作りだが、家の中には立派な石造りの仏壇がある。

寺院の参拝も欠かさない。仏教の祝日には、一家総出で車に乗り込み、ヤンゴン市の象徴であるシュエダゴンパゴダへ参詣する。高齢になった両親も「すごく楽しみにしている」と言う。

「来世も同じように幸せに暮らしたい」。電灯のない薄暗い部屋で、キンさんつぶやいた。