【yahman! ジャマイカ協力隊(7)】ハリケーン「サンディ」から学んだ! ジャマイカ人の生き抜く強さ

2011.11.16乗用車のバッテリーで携帯電話を充電するジャマイカの人たち。携帯電話はジャマイカ人にとっても欠かせないコミュニケーションツール(ジャマイカ・ポートアントニオ)

米ニューヨークの地下鉄を麻痺させたハリケーン「サンディ」。だがこのサンディが10月24日にジャマイカに上陸し、私が住む東部地域に深刻な被害をもたらしたことは、日本のメディアはほとんど報道していないと思う。今回は、途上国(ジャマイカ・ポートアントニオ)で体験した自然被害の恐ろしさについて書いてみたい。

■ゴーゴークラブはすぐに営業再開
ハリケーンの強さを表すカテゴリーは5段階ある。サンディは最小の1だった。こういうと、大したことなかったと思う読者もいるかもしれない。だがそんなことはまったくなかった。

ジャマイカの電力会社JPSによると、ハリケーンが去って2週間後でおよそ9000人、11月12日時点でもおよそ2000人が電気のない生活を送っていた。現在は99%のエリアで電気が戻ってきたが、特に被害の大きかった地域はいまも停電が続く。

ハリケーンの前日。私が暮らすジャマイカ東部のポートアントニオでは、やや激しい雨が降っていた。私は、地元の学校を訪問するはずだったが、担当のジャマイカ人教師は「来ない方がいいと思うわ。この天気では生徒も来ないだろうし。次回にしましょう」とキャンセルに。夕方に予定されていたロータリークラブのミーティングも中止になった。

徐々に、激しい風が吹き始めた。家の屋根が飛んでいく。ポートアントニオでは強い雨が降ると必ず停電するが、案の定、ハリケーン上陸と前後して停電に。水道は、地元の水道局NWCが事故防止のために給水を止めていたため、すでに使えない。

ハリケーンが去った翌朝、携帯電話が使用不能になった。どうしようかと街に出てみる。巨木が根元から倒れ、折れた木の枝が路上に散乱していた。ジャマイカの廃棄物処理公社NSWMAはすでに動き出し、トラックで木の枝を回収している。

スーパーマーケットは発電機を回して営業中。そのほかの店はほとんど閉まっていた。だが翌日になると、ほとんどが営業を再開した。電気と水はまだ復旧していなかったのに、だ。

なんとゴーゴークラブ(ポールダンスをする水着の女性を見ながらお酒を飲む店)まで発電機を稼働させ、夜間の営業を再開したのには驚かされた。わざわざ発電機を使って大音量で音楽を流す酒場も。逆境にいても楽しみを追求する。なんともジャマイカらしい部分だなと思った。

ハリケーンが去った翌日からの2日間は、ポートアントニオで夜間の「外出禁止令」が発令された。外出禁止令は通常、主に首都キングストンなどの繁華街でギャングを摘発するために政府が発するが、今回はハリケーンによる物資不足で、闇に紛れた犯罪を抑止するのが目的。パトカーが夜の街を巡回していた。

■水がないとトイレも流せない

ハリケーンの被害で私が一番困ったのは「水がない」ことだった。まずトイレの水を流せない。1回につき約5リットルの水をトイレで使えば、大きなプラスチックの水がめに貯めていた水はすぐに尽きてしまう。

食べ終わった後の食器も洗えない。かといって放置すると、常夏のジャマイカではハエやアリ、ゴキブリが集まってくる。シャワーはもちろん浴びられないし、服も洗たくできない。手も洗えないから、雑菌が繁殖する。ご飯も炊けない。飲み水がないのは死活問題だ。電気がなくても生きていけるが、水がなければ無理だな、と私は痛感した。

最終的に、電気と水道が私のアパートで復旧したのは、ハリケーンから5日後。ジャマイカ人はこの間、湧き水が出る場所や川で洗たくしていた。私のアパートの大家は、水道がいち早く戻った地域に行っては私たち住人のために水をくんできてくれた。自然災害に慣れているのだろう。慌てることもなく対応していたのが印象的だった。

電気がなくて困ったのは携帯電話の充電だった。海辺のバーや大きなレストランは発電機を使って営業していたので、そこに行って充電した。車のバッテリーを活用して充電する人もいた。この方法は、私にとって“驚きの生きる知恵”だった。

ハリケーンが去った後、極度の緊張による疲れから私は38度の高熱を出し、1週間寝込んでしまった。私の体調は復活したが、ここポートアントニオはいまも、倒れた看板や標識は直されることなくそのままの状態だ。日本を含め世界中から、ジャマイカへの支援の申し出があると聞く。まずは日常生活を取り戻したい。

ジャマイカの人たちは、こうした災害に落ち込むことなく毎日を生きている。小さなことでくよくよ落ち込む私は見習いたいなと思った。

 

原 彩子(はら・あやこ)

ジャマイカ・ポートアントニオ(ポートランド州)で活動する青年海外協力隊員(職種:環境教育)。埼玉県出身。日大芸術学部卒。在学中は、フィリピンの児童養護施設を運営するNPO「CFF」で奨学金支援チームのメンバーとして活躍。電機メーカーに3年半勤務した後、2012年2月から、ジャマイカの農業NGO「ジャマイカ4-Hクラブ」ポートランド事務所で活動中