【yahman!ジャマイカ協力隊(18)】英語ができればグローバル人材? ジャマイカ人と日本人の就労事情を比べてみた

手作りのココナツオイルを路上で販売する物売り。右手に持っているのが、空き瓶に詰めたココナツオイル手作りのココナツオイルを路上で販売する物売り。右手に持っているのが、空き瓶に詰めたココナツオイル

■売る物がしょっちゅう変わる「物売り」

「ちょっとアンタ、あたしのこと覚えているかい?」

ジャマイカ東部の街、ポートアントニオ(ポートランド州)の繁華街を歩いていると、丸々と太った中年女性に声をかけられた。どこかで見たことのある顔だなと思ってじっと顔を見つめる。

「昨日はマーケットの近くで、マンゴーを売ってなかった?」。私がそう尋ねると、豪快な声で笑い、人懐っこい瞳を向けてきた。「そうさ、でも今日は下着を売っているよ。ひとつ買わないかい?」

人通りの多い繁華街で、下着を物色する環境に慣れていない私は「また今度ね」と断った。中年女性はガハハとまた笑って私を見送ってくれた。

これはジャマイカのどこにでもいるような物売りの姿だ。街には物売りがあふれている。野菜や果物のほかに、レゲエのCD、映画のDVD、衣服、下着、歯ブラシ、マッチなどの雑貨を売る者もいる。複雑な知識は必要ないから、誰にでもできる商売だ。

区画されたマーケットもあるが、マーケットから一歩出た歩道の上にブルーシートを敷いて商品を並べたり、商品を持ち歩く物売りが圧倒的に多い。なかには販売許可証なしに商売をしている者もおり、違法に営業していた店を警官が取り閉まるというニュースはよく聞く。可動式の小屋を警官が取り壊していたのを目の前で見たこともある。だから、時に物売りは警官のいる前で商品を隠すこともある。うだる暑さの中で日々の糧を必死に稼ぐ物売りは、この国のいたるところにひしめく。

■宵越しの銭は持たないジャマイカっ子

ジャマイカでは、他人に職業を聞くことは無意味だ。なぜか。それは、物売りはある時マンゴーを売り、また別の日には下着を売っているというように、仕事が固定していないことが理由のひとつだ。

ある時乗ったタクシーの運転手の顔に見覚えがあった。よく聞けば、いつも訪問する小学校の門番だった。学校が休みの土日にパートタイムで無許可のタクシー運転手をしていたのだ。また、マーケットで手作りの工芸品を売りながら、土日に建築作業に従事する友人もいる。

もうひとつの理由は、すぐに仕事を辞めてしまうことだ。ドイツ人の経営するバーでバーテンダーをしていたジャマイカ人の友人は半年も経たずに辞めた。理由は「仕事に飽きたから」。ジャマイカ在住のフィリピン人が経営する雑貨屋のスタッフもひんぱんに変わる。

「長く働いてくれる、優秀な人材を探すのは難しい」とジャマイカでビジネスを営む外国人は口ぐちに言う。江戸っ子のように宵越しの銭は持たず、その日に必要なお金を稼ぐ働き方がジャマイカのスタンダードだ。

■日本はジェネラリスト養成工場?

日本で「グローバル人材」という言葉が叫ばれて久しい。自国の文化にとらわれない広い視野をもつ人材は確かに必要だろう。しかし、社内の公用語を英語にする企業が増えてきたように、英語を話せればグローバル人材だ、という安直な考えに日本人が取りつかれてしまっているような気がしてならない。

英語を話せればいいのであれば、ジャマイカ人は全員グローバル人材だ。日常会話ではパトワと呼ばれる方言を使うが、公用語は英語。ジャマイカの三大産業は、「観光」、「ボーキサイト」(アルミニウムの原料)、「外貨」(出稼ぎ労働者からの送金)といわれ、実際に、国民の4割に当たる200万人ほどが、アメリカやイギリス、カナダなど外国で働いている。

そこで私には2つの疑問がわく。1つは、ジャマイカ人は、英語を話し、海外でたくさん働いているからグローバル人材と断じていいのかどうかという問題。もう1つは、日本人も英語さえ習得すれば、海外で働くグローバル人材になれるかどうかだ。

私の意見はこうだ。まず、日本人とジャマイカ人は文化も言葉も違うが、「グローバル化」という観点で問題を見た場合、似ている部分がある。

職を転々とし、専門性をもたないジャマイカ人は海外でも、いわゆる“まともな仕事”に就けないのではないか。誰もができる、給料の低い仕事しか見つけられない気がする。給料の高い職を得られるのは、高等教育を受け、専門技術を身に付けた者だけだ。英語ができる=英語圏でならどこでも働けるグローバル人材、とは到底思えない。

日本人はどうか。大学を卒業しても、就職先の企業で即戦力になれないという現実。大企業に入れば、広い知識をもつジェネラリストになるよう求められ、3~4年ごとに部署が変わる。そのたびに新しい仕事を経験するわけだが、これはある意味、代わりのきく仕事をしているといえなくもない。このうえ英語を話せないとなると、海外で働くことは難しいのでは、と思う。

■英語偏重主義は何のため?

日本とジャマイカの共通項は、世界で通用する専門性を身に付けられない社会システムにあるのではないか。

教育にはお金がかかる。だから専門性を身に付けるのはジャマイカでたやすいことではない。多くの人が誰でもできる仕事を探し、微々たるお金を稼ぎ、足りない分は海外で働く親せきに頼っている。

これに対して日本には、ほぼ完成された教育システムがある。また高卒者のおよそ60%が大学・短大に進む時代だ。にもかかわらず、身に付けた専門性と違う職業に就いたり、希望した職種と違う部署に配属されることはざら。これでは、海外に通用するグローバルな人材は育たない気がする。

語学力だけがグローバル人材への道ではない。公用語として難なく英語を話すジャマイカ人を、私は日本人として羨むことはある。だが、「初めて見る日本人」に興味津々で近づかれ、時には「チンチョンチャンチョン」などと中国人を揶揄する言葉を投げつけられるたびに、この国にはもっと多様性を受け入れる文化が必要だと感じる。

でもそれは日本人にとっても同じ。行き過ぎた英語偏重主義は何のためなのだろうか。日本以外の文化の多様性を学ぶことのほうがグローバル人材になる必至条件なのではないか、と私は考えてしまう。

 

原 彩子(はら・あやこ)
ジャマイカ・ポートアントニオ(ポートランド州)で活動する青年海外協力隊員(職種:環境教育)。埼玉県出身。日大芸術学部卒。在学中は、フィリピンの児童養護施設を運営するNPO「CFF」で奨学金支援チームのメンバーとして活躍。電機メーカーに3年半勤務した後、2012年2月から、ジャマイカの農業NGO「ジャマイカ4-Hクラブ」ポートランド事務所で活動中。