元子ども兵の「くそったれでいまいましい人生」描く コートジボワールのルノドー賞作家アマドゥ・クルマ

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サッカーFIFAワールドカップ(W杯)で、日本が15日に対戦するコートジボワール。この国で最も著名な作家といえば、子ども兵の戦争体験を綴った小説『アラーの神にもいわれはない』(2000年出版)の著者アマドゥ・クルマ(1927年~2003年)だ。彼の小説は5作品のみと寡作ながら、この作品で、フランスの最も権威ある文学賞の1つ「ルノドー賞」を受賞している。

小説の舞台は、多くの犠牲を出したリベリア内戦(第一次1989年~1997年、第二次1999年~2003年)とシエラレオネ内戦(1991年~2002年)。主人公である10代前半の元子ども兵ビライマが、自らの戦争体験を語る形で物語りは進んでいく。

書き出しはこうだ。

「これにしよっと。『アラーの神さまだってこの世のことすべてに公平でいらっしゃるいわれはない』。ぼくのとんちき話の完全決定版タイトルは、こんなだよ。さあ、それじゃあ一発、ほら話をおっぱじめるとしようかな」

リベリア、シエラレオレのいずれの内戦でも、武装勢力が多くの少年たちを軍事動員した。その子ども兵たちのことを、ビライマはこう語る。

「どんな部族戦争でもリベリアでもそうだけど、子ども兵とかスモール・ソルジャーとかチャイルド・ソルジャーとかっていう連中は、ひとさまからお手当なんてもらわない。てめえで住民をぶっ殺して、おあつらえむきの品物ならなんでもてめえでふんだくってくるだけの話よ」

ビライマにとって人生は「くそったれでいまいましい」ものでしかなかった。
クルマはなぜ、子ども兵の小説を書こうと思ったのか。その答えを、仏週刊誌レクスプレスによる2000年のインタビューに見ることができる。

「私は1994年に、ジブチのフランス文化センターの招待で、現地の学校を訪れました。その時、ソマリアの部族紛争によって母国から逃れてきた多くの子どもたちに会いました。子どもたちに、部族紛争の話を書いてほしい、と言われたことが『アラーの神にもいわれはない』が生まれたきっかけです。(自分はソマリアの内戦についてはあまり知らないので)私にとってより近いリベリアとシエラレオネの内戦について書くことにしました」

作品の献辞には「ジブチの子どもたちへ―君たちの求めに応えてこの本は書かれた」とある。

この小説はあくまでフィクションだが、作品中には、実在する地名や独裁者の名前が登場する。シエラレオネの反政府勢力、革命統一戦線(RUF)が、多くの一般市民の手足を切断していた事実なども、ビライマが語っている。

クルマは日本語版のあとがきで次のように記している。

「本書はフィクションですから、ビライマ少年なる人物がけっして実在しなかったことはいうまでもありません。しかしながら、この少年が目にしたことは現実であり、彼の行いはどれをとってみても、現実に少年兵が行ったことかもしれないのです」

仏レクスプレス誌のインタビューで、「事実はすべて、ジャーナリズムが伝えた」とクルマは話している。そのうえで、「文学は何の役に立つのか」という質問に対して、「熟考するきっかけを人々に与える」とクルマは答えている。

第一次リベリア内戦で動員された兵士は、1996年時点で約6万人、うち1万5000人から2万人が子ども兵だったとされる。内戦による死者は 25万人以上、うち約5万人が子どもだった*。

武装勢力によって最前線に送り込まれた子ども兵たちは、ドラッグ漬けにされ、略奪、殺傷やレイプなどの残虐行為を強いられるなどした。リベリアで内戦が終わった今も、多くの元子ども兵が心に深い傷を抱え、社会復帰ができずにいる。
クルマの死後、2004年に、舞台をコートジボワールに変えてビライマ少年の続編が出版された。サッカーW杯の対コートジボワール戦を機に、クルマの小説は、私たちにコートジボワールやリベリア、シエラレオネという国々と子ども兵について「熟考するきっかけ」を与えてくれている。(西森佳奈)

*真島一郎[1998]「リベリア内戦史資料」より。真島氏は『アラーの神にもいわれはない』の日本語版の訳者で、東京外国語大学教授・文化人類学者。