エチオピア・ティグライ紛争の主要因は「体制移行の急ぎすぎ」、アフリカ日本協議会・稲場雅紀氏に聞く

稲場雅紀(いなば・まさき)氏
1969年生まれ。1990年代に横浜・寿町の日雇労働者の医療・生活相談や、日本のLGBTの人権運動に従事したのち、2002年からNPO法人アフリカ日本協議会で国際保健部門のディレクターを務める。著書に「SDGs 危機の時代の羅針盤」(岩波新書、南博・元国連大使と共著)などがある。稲場雅紀(いなば・まさき)氏。1969年生まれ。1990年代に横浜・寿町の日雇労働者の医療・生活相談や、日本のLGBTの人権運動に従事したのち、2002年からNPO法人アフリカ日本協議会で国際保健部門のディレクターを務める。著書に「SDGs 危機の時代の羅針盤」(岩波新書、南博・元国連大使と共著)などがある。

エチオピア北部のティグライ州で、同州を拠点とする勢力「ティグライ人民解放戦線(TPLF)」とエチオピア政府軍との間で戦闘が始まってから1年2カ月。両軍は2021年末に地上戦を停止したものの、エチオピア政府軍は今も空爆を続けている。この紛争はなぜ起こったのか。アフリカを長年ウォッチするアフリカ日本協議会(AJF)国際保健部門ディレクターの稲場雅紀氏に話を聞いた。

鉄の支配

――ティグライ紛争の要因はなにか。

「ティグライ紛争の具体的な話をする前に一言。紛争には、それぞれの紛争当事者や関係者がおり、それぞれが『それなりの言い分』を持っている。また現在進行中の紛争については、今の解釈を覆すような事実が後で判明することもある。ティグライ紛争は特に背景が複雑であり、私自身、決めつけることなく慎重な姿勢で話をしていきたい。

そのうえで、紛争の主要因をあえて挙げるとすれば、民族を単位とする連邦制から、より統合的な国家体制への移行を急ぎすぎたことだろう。ただ、副次的な要因がいくつもある。この紛争を理解するには、冷戦後のエチオピアの歴史を見ないといけない」

――エチオピアでは冷戦末期、民族をベースとした勢力の連合「エチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)」が親ソ連派のメンギスツ政権を打倒した。その後、EPRDFが政権を担ったのだが、どう国を統治したのか。

「EPRDF政権は憲法を制定し、民族別に州を分けて民族を単位とする連邦制の国家を作った。各州の自治を認め、州内の選挙の結果によっては連邦から離脱して独立することもできるとした。エリトリアは実際、エチオピアから独立した。

EPRDFは、建前としては連邦制を前提とした民族政党の連合体だった。だが中核を握っていたのは、メンギスツ政権の打倒に中心的な役割を果たしたTPLFだ。

当時のTPLFのトップだったメレス・ゼナウィ首相(在職1995~2012年)は、形式的には複数政党制の民主主義の形態をとり入れつつ、TPLFを中核とする国家主導の開発を進めた。

保健や教育、ジェンダーなど社会開発にも積極的に取り組み、経済成長を軌道に乗せ、工業化を図った。日本のカイゼンも積極的に取り入れた。

だが同時に強力な軍事力と官僚制に基づく厳しい国家統制も敷いた。特に、反対勢力に対しては過酷ともいえる弾圧をした。選挙結果を不服とした反政府デモを武力で何度も鎮圧し、数多くの犠牲者が出た。

情報統制も厳しかった。私がメレス政権時代にエチオピアへ行った時は、他のアフリカの国と違って、携帯電話やSIMカードが簡単に手に入らなかった。

多くの成果を出した国家主導の開発と、この『鉄の支配』は、メレス時代の統治の『コインの両面』だったといえる」

権力の独占と私物化

――TPLFがエチオピアの実権を握るものの、エチオピア人口に占めるティグライ人の割合は6%ほどしかない。他の民族はティグライ人の統治をどう思っていたのか。

「大きな不満をもっていたのではないか。とくに最大民族であるオロモ人(人口の34%)やエチオピア帝国のプライドをもつアムハラ人(同27%)は忸怩たる思いだったはず。TPLFが1991年にスターリン主義的支配で悪名高かったメンギスツ政権を打倒した時、アジスアベバではこれを喜ぶ人々もいたが、ティグライ人の支配を警戒するデモも起きた」

エチオピアの首都アディスアベバに建つアフリカ連合(AU)の本部。アフリカ各国の国旗が掲げられる(写真提供:稲場雅紀氏)

エチオピアの首都アディスアベバに建つアフリカ連合(AU)の本部。アフリカ各国の国旗が掲げられる(写真提供:稲場雅紀氏)

アディスアベバにある国連アフリカ経済社会委員会(UNECA)の施設の中にあるステンドグラス。タイトルは「Total Liberation of Africa(アフリカの完全なる解放)」(写真提供:稲場雅紀氏)

アディスアベバにある国連アフリカ経済社会委員会(UNECA)の施設の中にあるステンドグラス。タイトルは「Total Liberation of Africa(アフリカの完全なる解放)」(写真提供:稲場雅紀氏)

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