「権力分有」政策は平和構築に有効なのか、ブルンジとザンジバルの事例から考える

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ソマリア、アフガニスタン、パレスチナ。民族紛争は世界のいたるところで起きている。紛争国(紛争終結直後の国も含む)にとっては、いかに多民族の間の対立を融和させ、平和をもたらすことができるか、または民族紛争をどう予防するかが重い課題だ。民族紛争の火種を抱える国家の平和構築のやり方について考えてみたい。

■パレスチナ人への措置は差別?

パレスチナ人にはイスラエルの市民権を与えない――。イスラエルの高裁は先ごろ、こうした司法判断を下した。イスラエルは通常、イスラエル国籍をもつ人と結婚した外国人配偶者に市民権を与えている。ところがパレスチナ人の配偶者のみは例外。人権団体はこれを差別として、是正を求めていた。

イスラエルのこのやり方は、一見すると非人道的・不平等と映らなくもない。しかし植民地支配の名残などから民族構成が複雑となった国家がこうした“規制”を設けることは珍しくない。なぜなら「民族問題」は紛争の“爆弾”を抱えることにつながり、対応いかんによっては国家の安全保障を揺るがしかねない重大事項になるからだ。

パレスチナ人を排除するこの例外措置も、アラブ系イスラエル人の数をこれ以上増やしたくないというイスラエルの思惑が見え隠れする。イスラエルの人口は約700万人。だが現時点でもその約2割がアラブ系だ。ユダヤ国家イスラエルにしてみれば、非ユダヤ系人口の増大を「脅威」ととらえるのは自然の成り行きだろう。

紛争国が平和を構築するやり方に「権力分有」(パワーシェアリング)政策がある。ひとつの民族に政治権力が集中しないよう、憲法で制限をかけるもので、分かりやすくいえば、強制力をもって平和を作り出そうとする手法だ。理想論はさておき、平和は自然には訪れないという悲しい現実がこの政策の考えの裏にはある。

■ブルンジ、ツチとフツの対立が後退

権力分有を採用する国のひとつがアフリカ中部のブルンジだ。人口約800万。民族構成はフツ85%、ツチ14%となっている。

この国ではかつて、ルワンダ大虐殺と同じように、フツとツチが激しくぶつかり、壮絶な殺し合いが起こった。終結後、平和の実現を目的にブルンジは、民族ごとに政治ポストの割合を定めた権力分有を核とする憲法を制定した。2005年のことだ。

内容は「2人の副大統領は異なる民族に属さなければならない」「大臣・副大臣に占める割合は、フツで上限60%、ツチで同40%とする」「国家防衛軍所轄大臣と国家警察所轄大臣が同じ民族ではならない」「公企業の代表者に占める割合は、フツが最大60%、ツチが同40%とする」などだ。

この政策が施行されてから6年超。アフリカの専門家は「(権力分有によって)エリートの間に限れば政治闘争のあり方が変わった。もはや、ツチかフツか、という単純な民族の対立軸は消えたのでは」と評価する。

民族的な対立軸が政治エリートの間から外れたという事実は、紛争予防にとって大きな意味合いをもつ。それは、民族性に起因する紛争は動員力が強くて危険であり、しかも多くの場合、民衆を動員するのはエリート層という側面をもっているからだ。こうしたリスクが軽減されたとすれば、平和構築に対する権力分有の効果はかなり高いといえる。

■ザンジバル、経済失速で和平が動き出した?

タンザニアのザンジバル(自治権をもつ)も10年11月から、権力分有を導入している。

ザンジバルにはウングジャ島とペンバ島という2つの大きな島(人口比率は6対4)がある。ウングジャ島民のほとんどがアフリカ系であるのに対し、ペンバ島ではアラブ系が大半を占める。この差はそのまま支持政党の違いにつながり、ザンジバルでは長い間、ウングジャ島の「タンザニア革命党」(ザンジバルCCM)とペンバ島の「市民統一戦線」(CUF)といった対立軸で権力闘争が繰り広げられてきた。

ところが、権力分有を定めたザンジバル新憲法の是非を問う住民投票が10年7月に突如実施され、有権者3分の2の賛成多数で承認された。

権力分有の中身は「自治政府を複数政党で構成すること」「自治政府の副大統領(2人)は議会第一党と第二党から1人ずつ出すこと」「自治政府の閣僚に占める割合は議席数に準じること」などだ。

ザンジバルでは権力分有が施行されてまだ日が浅いこともあって、現時点でその効果を評価するのは難しい。ただ注目すべきは、両党の和平交渉が暗礁に乗り上げていたにもかかわらず、なぜ、民族紛争に終止符を打ち、権力分有で合意できたのかという点だ。

ある専門家は「そもそも両方の島民とも、スワヒリ語を話し、宗教もイスラム教。同じ“ザンジバル人”として、反目するのではなく協調したほうが得策との機運が高まったためでは」とみる。

背景にあるのは、タンザニア本土(タンガニーカ)に対するザンジバル経済の出遅れだ。タンガニーカは金など地下資源の輸出で、ここ数年は年5%レベルの経済成長を遂げている。対照的にザンジバル経済は政情不安から観光業が大打撃を受け、タンガニーカとの経済格差は広がったといわれる。

ザンジバルではいわば、「経済復興」をベクトルに和平への一歩を踏み出すことができた。だが権力分有でザンジバル経済はテイクオフできるのか、という難問が依然として残っている。

■ボスニア・ヘルツェゴビナの“国家元首”は8カ月交代

欧州では、ボスニア・ヘルツェゴビナの例がある。第二次世界大戦後の欧州で最悪といわれる内戦を経験したこの国は、ボシュニャク人、クロアチア人、セルビア人という3つの主要民族から1人ずつ選ばれた代表者で構成する「大統領評議会」を国家元首としている。大統領評議会の議長は事実上の「ボスニア・ヘルツェゴビナ大統領」となるが、このポストは8カ月ごとに代わる。いわば輪番制だ。

南アフリカではアパルトヘイト廃止直後の時期、選挙で一定の得票を得た政党は必ず閣僚を出し、連立政権を組まなければならないという規定があった。これは、白人を中枢とする政党を政権から排除しないための措置。また黒人が政権を握っても、白人の公務員を解雇せず、定年までの雇用を保証するという条項もあった。

アジアに目を移すと、「ブミプトラ」(「土地の子」の意)と呼ばれるマレーシアのマレー人優遇政策が有名だ。経済的に優位な華人よりも、マレー人を公務員の採用や国立大学への入学、経済活動などで優先するもので、40年以上の歴史がある。

ブミプトラ政策の浸透もあって、5・13事件(1969年)のようなマレー人と華人の流血事件はなくなった。だがこの政策で貧富の格差が解決したわけではない。「2020 年までにマレーシアは先進国入りする」というビジョンを掲げ、それに向かって走り続けるいまも、ブミプトラ政策は撤廃されていないという深い現実がある。