【column】「ご飯は食べた?」と聞かれたら‥‥

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東南アジアでは親しい間柄で「こんにちは」「こんばんは」などの“あいさつ”は交わさない。もっと肩の力を抜いていこうよ、とかしこまらないのが彼らの流儀。あらたまって「こんにちは」と発するのはいかにも他人行儀と考えているのだ。

では街角で知り合いに出くわしたらどうするのか。プイッと無視をする? もちろんそんなわけはない。

道端ですれ違ったら、「どこに行くの(行ったの)?」「もうご飯は食べたの?」などと尋ね合う。これらのちょっとしたキャッチボールがいわばあいさつ代わり。“こんにちは式”の形骸化された一言よりずっとほのぼのしている。キスやハグなどヨーロッパのあいさつはしばしば大げさなゼスチャーを伴うが、東南アジアのそれはゆっくり自然体のコミュニケーション。広い地球、あいさつの仕方もいろいろある。

それでは実際に「どこに行くの?」と尋ねられたら、あなたはどう答えたらいいのか?

「え~と、いまからバスに乗って、(バンコクの)スクムビット通りにあるエンポリアムにショッピングに行きます! バッグを買おうと思うの」

こんなふうにまじめに今日1日の計画を連絡する必要はない。会社の新人研修で習う、上司への“ホウレンソウ”(報告・連絡・相談)じゃないんだから。お腹いっぱいでも、お腹がピーピー鳴って食欲がなくても、「これからご飯を食べに行く」とでも言っておけばOK。単なるあいさつで聞いているので、事細かに報告すると冗談ぽくなってしまう。それはそれでおもしろいのかもしれないが。

早い話、大阪と同じ。「もうかりまっか?」とおばちゃんに聞かれて、ばか正直に「きのうボーナス70万円をもらって、といっても手取りは60万円なんやけど、まあまあかなー。あっ、で、晩飯は梅田で豪勢に焼肉をたらふく食べてな、その後はカラオケで朝までフィーバーや。始発の電車で帰ってきたんや」なんて話す人はいない。「ぼちぼちでんな」と軽く流してこそ、大阪人の大阪人たるゆえんだ。

大阪人が根っからの“商人”だから他人の「もうけ」を気にする文化があいさつに残ったとすれば、東南アジアの人は生まれながらの“おせっかい”であり“食いしん坊”。他人の「行き先」や「食べ物」に興味津々なわけで、それがあいさつへと進化したわけだ。

ちなみに「どこに行くの?」とはタイ語で「パイ・ナイ?」、タガログ語では「サアン・カ・ププンタ?」、インドネシア語では「ク・マナ?」という。東南アジアを訪れる機会があったら、ぜひ、これらのフレーズを使ってあいさつしてみよう。

次に、「もうご飯は食べたの?」と尋ねられたときの対応について考えてみたい。このフレーズはタイ語で「キン・カオ・レーオ・ルー・ヤン?」、タガログ語では「クマイン・カナ?」、インドネシア語では「スダ・マカン?」という。

「もうご飯は食べたの?」と聞かれて、現地の人の最もオーソドックスな答え方は「もう食べた」と言い切ること。「いや、まだです。ちょうどこれから食べようと思っていたところで!」なんて口走ったら、そこはホスピタリティーの国。「じゃあ、家で食べていけ」と相手は勧めてくる。

ご飯を一緒に食べようという誘いは友情の証なので、本来はうれしいし、それだけにむげに断りにくい。ただだからといって理由もなくごちそうになるのは「借り」(マレー系の社会ではこれを「ウタン」という)をつくることを意味する。東南アジアは“貸し借りの社会”。借りは返さなければ「恩知らず」と陰口をたたかれるのが落ちだ。

インドネシアに住んでいたころの話。「いまからちょっとマス・トニー(トニーにいさん、本当の兄ではないが)の家に寄るけれど『もうご飯食べた?』と聞かれても、絶対、食べた、と答えるのよ。彼は子どももたくさんいて、そんなに豊かじゃないし。わかった?」と念を押されたことがある。

東南アジアの人たちを観察していると、訪問先で予期せぬ食べ物が出された場合、「えっ、どうする? これって食べる?」と気まずそうに顔を見合わせる瞬間がある。たいていはほんの少しだけ口をつけて、スプーンとフォークを置く。

もちろん当事者間の人間関係によって行動パターンは大きく変わってくるので、一概に、どうこうあるべき、とは言えない。しかし「出されたものは全部平らげなきゃいけない」「腹いっぱいなのに無理して食べるべき」と、相手の言葉を鵜呑みにして、完食こそが礼儀だ、とステレオタイプ的にとらえるのはどうなのだろう。どこの国にも遠慮というものがあることを忘れてはいけない。ギブ&テイク。

例外は、結婚や誕生、割礼、死、旅立ちなどの節目に開催されるパーティーだ。このときばかりはいろんな人を招き、一緒になってご飯を食べる。ときおり開かれる共食の儀式によって人と人との距離をしっかり近づけておくのだ。

東南アジアにはその昔、「こんにちは」という言葉がなかったともいわれる。「こんにちは」に相当するタイ語の「サワディー」をみても、「サワ(喜ばしい)」と「ディー(良い)」を合体させただけ。タガログ語の「マガンダン(美しい)・ハポン(昼)」やインドネシア語の「サラマット(幸せ、安全、成功などの意)・ソレ(昼)」にしても、どこか取って付けたような単語の組み合わせ方。違和感を覚えるのは私だけではないだろう。

郷に入っては郷に従え。さて東南アジアの街角で「もうご飯は食べたの?」と聞かれたら、あなたはなんて答える? ご飯はごちそうになる? ならない? どっちですか?