南北の「心的な対立」はいまも続く? ベトナム統一から40年

ハノイの街中に建てられたホー・チ・ミンの大きな看板ハノイの街中に建てられたホー・チ・ミンの大きな看板

2015年は、ベトナムの「今」を考えるうえで興味深い1年だった。1945年の独立から70年、1975年のベトナム戦争終結(サイゴン陥落)から40年。この節目の年にベトナム人を観察すると、6%前後の経済成長を続ける陰で、北部と南部の「心的な対立」は現在も根強く残っているように映る。

1945年9月2日。この日はベトナムにとって独立記念日だ。おもしろかったのは、70周年に当たる2015年9月2日の記念日の祝い方が北部と南部で大きく違ったことだ。

北部のハノイはベトナム共産党のお膝元。記念式典の模様が朝7時すぎからテレビ中継され、テレビの前でその様子に見入る市民たちが多かった。軍事パレードが行われる沿道には大勢の人が駆けつけ、東京の満員電車のような状態。兵士が通るたびに、「わー!」と大きな歓声が上がるほどだ。

ハノイで会計の仕事をする社会人1年目のグエン・ティ・リンさんは「私の友人のなかにはパレードを見るために朝5時から場所取りをしていた人もいるわ」と話す。脚立や三脚を使って本格的に撮影する市民も少なくなかった。

ハノイでは前日から交通規制が始まった。メインロードが封鎖され、回り道をする羽目になったにもかかわらず、「明日はパレードだから仕方ない」と不平を漏らす人はいない。家や店の軒先にはベトナム国旗を掲げる。ハノイ中心部では、建国の父ホー・チー・ミンが70年前に演説した音声が流れる。お祭りムードいっぱいだ。

部隊ごとに分かれた軍事パレードと熱狂的な市民たち(ハノイ)

部隊ごとに分かれた軍事パレードと熱狂的な市民たち(ハノイ)

対照的だったのは、南のホーチミン市。忙しく行き交うバイクがいっぱいなのはいつもと同じ。独立を祝う看板もちらほら立っていたが、ハノイとは比べ物にならないほど地味だ。

ホーチミンの市民らは、独立記念日の存在を忘れているかのように商売に勤しむ。ホーチミン在住の31歳の男性グエン・ニャット・カンさんは「南の人は社会主義が嫌い。僕も嫌いだからお祝いしない。祝日になるのは嬉しいけどね。『サイゴン』という都市名を『ホーチミン』と変えさせられたのも不服」と話す。

南北を分断する「イデオロギーの違い」。ベトナム政府が掲げる「2020年の工業国の仲間入り」まであと4年、経済成長を下支えするベトナム人の中にある亀裂の深さは、ベトナムの未来にとってどんな影響を及ぼすのだろうか。