ネパール地震から1年、シャプラニールが復興支援から撤退しないわけ

シャプラニールの宮原麻季・前カトマンズ事務局長とネパールの女性たち

2015年4月25日にカトマンズ付近で起こったネパール地震から1年。海外のNGOのほとんどが撤退した中、被災地支援を続ける団体がある。日本のシャプラニールだ。同団体の宮原麻季・前カトマンズ事務局長は都内で開かれた講演で「震災からの復興は遅れている。このことは日本に住む私たちも考えていくべき問題。シャプラニールは撤退を検討したこともないし、撤退しない」と訴えた。宮原さん自らもネパール地震の被災者だ。

シャプラニールの復興支援活動の柱は「コミュニティスペース」の設置。コミュニティスペースとは、住民同士が交流でき、情報も得られるスペースのこと。これまでに、5カ所のコミュニティラジオ局に設置し、ラジオ局のスタッフが運営している。このプロジェクトは震源地であるゴルカ郡などカトマンズ周辺の被災5郡で2015年9月から始め、17年3月に終える予定だ。シャプラニールは地震発生から1カ月半、ネパール政府が指定する10カ所のコミュニティラジオの再建も支援した。

「震災の直後は、どのNGOも『仮設住宅が必要だ」と同じ動きに走った。このためNGOはこぞって、トタン板を集め、競争状態になった。(情報を発信する)ラジオは大事なのにあまり注目されていない。誰も支援していない分野に焦点を当てたかった」と宮原さんは話す。

シャプラニールが設置を支援したラジオ局(シンドゥーパルチョーク郡)

シャプラニールが設置を支援したラジオ局(シンドゥーパルチョーク郡)

コミュニティスペースやラジオ局への支援以外にも、シャプラニールはこの8月ごろから3年間の予定で、カトマンズの住宅密集地で防災リーダーを育成するプロジェクトに乗り出す。地震が今後起きた時に、コミュニティの力で多くの命を救える体制を作るのが狙いだ。

「カトマンズの住宅密集地は、農村に比べて、復興支援の対象とならなかった。プロジェクトが終わった後も、防災活動が続けられるようにコミュニティのリーダーを決めて、彼ら自身で防災できるようにしたい」(宮原さん)

このプロジェクトで力を入れるのは、コミュニティの防災力アップを目的として「(シェルターに使える場所や応急処置ができる人を見つけるなど)災害時に活用できる地域の財を整理すること」「避難訓練と救命訓練を定期的に実施すること」「高齢者や障がい者など、災害弱者になりやすい人のリストを作成すること」などだ。

「ネパールでは震災の前、『地震が来たら机の下に隠れるように』といった防災教育をしていた。ネパール地震が起きた際は、屋外で遊んでいた子どもが、机の下に隠れるためにわざわざ家の中に入り、亡くなったケースも少なからずあった。この失敗を教訓に、新たな避難訓練では、ひとりひとりが自分で考え、自分で身を守れるようにしたい」(宮原さん)

ネパールで復興が遅れている最大の要因は、行政能力の脆弱さにある。ネパール復興庁は2015年12月にようやく設置されたが、職員数は当初予定の半分に満たず、人手不足が深刻。また政府が発表する情報が不確かなことも問題だ。

さらに全壊した家屋の再建のために復興庁が20万ネパールルピー(約20万円)を配布したのは、震災から1年の今始まったばかり。多くの住民がいまだに夏は暑く、冬は寒いトタン板の仮設住宅に住むことを余儀なくされている。

宮原さんは「私自身も、震災後は精神的に不安定になった。壊れた家々を見て涙が出ることもあった。そんなとき、ネパールの人たちは私をあたたかく励ましてくれた。自分の家が壊れてしまっているのに。彼らを後ろからそっと支える役割をこれからも担っていきたい」と講演を締めくくった。

ネパール地震の被災者はこうした仮設住宅で暮らす

ネパール地震の被災者はこうした仮設住宅で暮らす