「紛争で夢も結婚もパーになった」、日本に逃れたシリア難民の嘆き

都内のカフェで話すシャーディさん(仮名)。2016年12月10日に撮影

「シリア紛争がなければ今ごろ会社を立ち上げ、結婚しているはずだった。どちらの夢もパーになった」。戦火のシリアを逃れ、日本で難民認定を受けたシャーディさん(仮名、29)は、自分の将来の目標が断たれた苦しさを打ち明ける。シリアで有名なハイパーマーケット(巨大スーパー)会社の幹部だった彼はいま、都内のワンルームマンションで一人暮らし。日本政府から支給される1カ月4万5000円の生活費が頼りだ。

■社内で飲みニケーションしていた

シリア紛争が2011年3月に始まる前、シャーディさんはハイパーマーケット会社のIT担当マネージャーだった。会社の自室にはウイスキーやビールを置き、部下と常にコミュニケーションがとれるよう気を配っていたという。シリアの平均月収の4倍ほどに当たる約20万円の給料をもらい、韓国の起亜の車もローンで手に入れた。生活は豊かだった。

「あのころは楽しかった。車があればシリア中どこにでも行けたから、旅行をたくさんした。お酒も飲んだ。ムスリム(イスラム教徒)はお酒を飲まないと思われがちだけど、みんながみんなそうではない。『アサヒスーパードライ』がお気に入りだった」(シャーディさん)

仕事を一通り覚え、人脈もできたシャーディさんは、実は自分の会社を興す準備を進めていた。「将来のことを考えるとワクワクした」。だがシリア紛争の勃発でその夢は遠のいた。

シャーディさんは言う。

「チュニジアで2010年12月に始まった『アラブの春』に触発され、シリアでも民主化ムードが高まった。私も反体制デモに参加した。独裁政治が変わればいいと思ったけど、紛争になるとは思っていなかった。なんでこんなことになってしまったのだろうか」

■死ぬかもしれないから結婚せず

紛争が始まると、シリアに残った人同士のつながりは強まった。友人の家に泊まることが増えていったという。

「外出中に、近くで戦いがあり、逃げ込むケースがあった。紛争以前は、イスラム教の風習で、成人男性が家の中で友人の母や姉妹に会うことはほとんどなかった。けれどもそうは言っていられなくなった。家族ぐるみの付き合いをする友だちが増えた」(シャーディさん)

シャーディさんが、交際していた恋人と婚約したのは紛争開始から2年が経った2013年だ。だが結婚に踏み切れなかった。一番のネックは、シャーディさんが徴兵されるリスクがあったこと。シリアの成人男性には9カ月の兵役義務がある。シャーディさんは仕事が忙しかったから、兵役の時期を先延ばしにしていた。紛争が始まったいま徴兵されたら、最前線に送られ、死んでしまうかもしれない。

「せっかく結婚しても、死んでしまっては婚約者を未亡人にしてしまうだけだ」(シャーディさん)。もっといえば、結婚する際に妻の家族に渡す「引き出物」を買うお金を作ることもできなかった。

紛争前は、お金に余裕があったシャーディさん。しかし戦争が始まって1年でシリアポンドの価値は11分の1まで下落した。輸入品を中心にあらゆるものの値段が高くなり、生活は徐々に苦しくなっていく。「家にある電化製品はほとんど売った。買ったばかりの車も。残ったのは車のローンだけだ」(シャーディさん)

2015年になると、政府がシャーディさんの身辺調査を開始したとの噂を耳にする。「反体制デモに参加したことが影響したのだろう」。2015年の秋、シャーディさんのもとへ召集令状が届く。軍隊に行くか、国を出るか。軍隊に行けば、戦争の最前線に送られ、死んでしまうかもしれない。シャーディさんはシリアを出た。

■支給される生活費は4万5000円

徴兵を逃れたシャーディさんは2015年12月に来日した。ビザの取得はシリアで出会った日本人の友人が手伝ってくれた。初めは都内のゲストハウスで暮らしていた。滞在許可が出るまでは、強制送還されるのではと怖かったという。

難民申請が認められると、日本政府が借り上げた家具付きのアパートへ引っ越した。水道光熱費は無料。生活費として毎月4万5000円が支給される。だがそれも6カ月間にわたって受講する語学研修プログラムの履修中のみ。期間が終われば、アパートを出て自分で生活費を稼ぐ必要がある。

「難民申請が受け入れられたことで就労の許可も出た。だけど言葉の壁もあって、良い仕事につくのは難しい。もっと若くてキャリアのない時期に日本に来ていたら、幸せだったのかもしれない。築いてきたものがゼロになって、また一つずつ始めていかないのは辛い。マクドナルドの店員から再出発だ」

シリアに残してきた婚約者との関係も微妙。婚約者からはシリアに戻ってきてほしいと言われる。シャーディさんの悩みは深い。