カンボジアはアンコールワットだけじゃない! 夏休みに観ておきたい社会貢献型のモダンサーカス「ファー」

サーカス・ファーの公演のようす(シェムリアップ)。ちなみにサーカス・ファーを運営するのは、シェムリアップの社会的企業ファー・パフォーミング・ソーシャル・エンタープライズ(PPSエンタープライズ)、バッタンバンの小学校(教育・訓練施設)を運営するのは、NGOのファー・ポンルー・セルパク(PPSA)だ。母体は同じ

世界遺産アンコールワットを擁するカンボジア・シェムリアップに、観光客の間で大人気の個性的なサーカスがある。「ファー」だ。サーカスといっても、ピエロも空中ブランコもない。カンボジアの昔話を演劇・音楽・踊りを交えて表現する一風変わったサーカス(動画1234)だ。ファーの舞台裏を取材すると、カンボジア文化の驚きの変容ぶりが垣間見えてくる。

サーカス・ファーが立ち上がったのは2013年。目的は「ファー(母体は同じだが、サーカスの運営と小学校の運営は別組織)がかねてバッタンバン州で経営する小学校の運営資金を稼ぐこと」と「カンボジア人のパフォーマーに働く場を与えること」だ。

タイとの国境沿いに位置するバッタンバン州の小学校は1994年、内戦が1991年に終わって難民キャンプから故郷バッタンバンに戻ったカンボジアの若者9人が開校した。当初の目的は、内戦で傷ついた子どもたちに絵を教え、絵を使って戦争のトラウマを克服させること。現在は通常の学校教育(公立校が敷地内にある)に加え、職業訓練コースもある。「サーカス」「ダンス」「音楽」「演劇」から自由に選べる。

この学校の運営資金を稼ぐのがサーカス・ファーだ。シェムリアップで毎晩開かれる公演は、欧米の観光客を中心にほぼ満席。公演から得た収益のおよそ7割を学校の運営資金に回す。

ユニークなのは、ファーが、職業訓練コースを卒業したカンボジア人の就職先にもなっていることだ。ファーのパフォーマーは、カンボジアの平均的な給料よりも多い金額を手にできる。教育を受けても職にありつくのが簡単ではないカンボジアで、教育から就職までを一気通貫で提供できるのがファーの活動の魅力だ。

だが内戦の爪痕が薄くなり、カンボジア経済がテイクオフしたいま、ファーにとって“第3の目的”が注目され始めた。それは「カンボジアの芸術を復興させること」。ファーで働く唯一の日本人スタッフ、池内桃子さんも「ファーは新たな役割を担うようになった」と自認する。

その背景にあるのが、1975~79年にカンボジアを支配したポル・ポト政権が残した負の過去だ。ポル・ポト政権は「原始共産制」を推し進め、農業を極端に重視する政策をとり(ただ機能せず、深刻な食料不足に陥った)、反乱を起こす恐れのある医師や教師、芸術家などの知識人を処刑した。伝統文化の担い手も殺されてしまったことから、文化は継承されず、途絶えてしまった。虐殺・飢餓の被害者は100万人とも、300万人ともいわれる(当時の人口は700万~800万人)。

ポル・ポト時代に途絶えた文化を再興させることは、カンボジア人に「誇りを取り戻す」ためにも大きな課題。この一端を担える可能性があるのがモダンサーカスのファーだ。

ファーのサーカスは、伝統的なカンボジアの物語を軸に、伝統楽器の生演奏とサーカスのアクロバティックな技を融合させる。イメージしやすいように説明すると、歌の代わりにアクロバティックな技を入れたミュージカルのよう。21世紀のカンボジアの文化として昇華していけばおもしろい。

ファーのパフォーマーとして活躍するラム・サラトさん(28)は8歳のとき、友人の誘いでサーカスコースに入学。10歳から、学校で開かれる公演に出始めた。19歳のときにはファーの支援でフランスに1年留学、アクロバットの技を磨いた。「公演が終わった後、お客さんから拍手をもらうのがやりがいだ」と誇らしげに語る。

文化は姿かたちを変えながら伝わっていくもの。カンボジア流サーカスのファーは、ポル・ポト時代に失った文化を一気にアップデートさせるたことで観光客から絶大な支持を受けるようになった。それだけではない。社会貢献という側面もあわせもつ、ソーシャルビジネスならぬ“ソーシャルカルチャー”として時代にマッチした文化として今後も発展していく可能性を秘めている。

サーカス・ファーの公演のようす。女性も大活躍(シェムリアップ)

サーカス・ファーの公演のようす。女性も大活躍(シェムリアップ)