2017年の8月にミャンマーのラカイン州、10月にバングラデシュのコックスバザール県でロヒンギャを取材したジャーナリストの木村元彦(ゆきひこ)氏はこのほど、ピースボート主催のイベント「なにがロヒンギャを苦しめているのか?」に登壇し、ロヒンギャの現状を報告した。ロヒンギャとは、ラカイン州に住むムスリム(イスラム教徒)のことで、仏教徒の多いミャンマーで迫害され、バングラデシュへ難民として逃れる者も多い。「仏教徒の民族アラカンがムスリムのロヒンギャを迫害しているとニュースではいわれる。だが現地に行ってみると、ロヒンギャに友好的なアラカンもいる」と木村氏は言う。
■アラカン男性「ロヒンギャの友だちもいた」
ロヒンギャが多く暮らすラカイン州の州都シットウェで木村氏の取材に同行したのはアラカン族の男性だ。「2012年までは同じ学校で学び、ムスリム(ロヒンギャ)の友だちもたくさんいた。今は分断されてしまったので、彼らには会えない」と木村氏に語ったという。
ロヒンギャとアラカンは、大規模衝突が起こる2012年まで混在して住んでいた。ところが2012年以降、ロヒンギャは隔離されたエリアに閉じ込められる。外への移動も、アラカンの店で買い物することも禁じられたままだ。ロヒンギャの居住区には、国連職員も外国人ジャーナリストも立ち入りが認められていない。
木村氏がバングラデシュ南東部のコックスバザール県の郊外にあるクトゥパロン難民キャンプでロヒンギャを取材したところ、アラカン族の民兵や暴徒ではなく、警察や軍に家族を殺され、家を焼かれて逃げてきたロヒンギャがほとんどだったという。
木村氏は「アラカンはミャンマーの定住者とされる。その意味ではロヒンギャに対する加害者といえる。だがアラカンもミャンマー政府から迫害されている。アラカンとロヒンギャを対立させることで、両者が住んでいるラカイン州自体を弱体化させようとしているのではないか」と話す。ミャンマー内陸部で産出する天然ガスを輸出のために港に運ぶパイプラインは、ラカイン州を通る必要がある。ミャンマー政府はこの利権を独占するために、アラカンとロヒンギャの分断を狙っているのではないか、と木村氏は推測する。
■ロヒンギャはミャンマー人になりたい
1982年に施行されたビルマ市民権法(国籍法)は、1823年以前からビルマ(ミャンマー)に住んでいたとされる135民族のみを正式な国民と認める。135の民族にアラカンは入っているが、ロヒンギャは入っていない。ロヒンギャはこの時から無国籍扱いとなった。
バングラデシュのキャンプに住むロヒンギャ難民は「ロヒンギャは、ラカイン州として独立したいのではない。ミャンマーの国民として、136番目の民族として認められたい。自由に移動できて、子どもたちが学校に行けるようになったらいい」と話す。
また、ロヒンギャはミャンマー語が話せないからミャンマー人ではないというヘイトデマに対抗するため、木村氏のインタビューに対して「ロヒンギャ語ではなくミャンマー語で答えたい」と希望したという。
■ヤンゴンの人たちは無関心
一方、ヤンゴンのミャンマー人たちはほとんどがロヒンギャ問題には無関心だ。ヤンゴンの人たちにロヒンギャのことを聞こうとすると、「あれはベンガル人だ」という答えが返ってくるという。
1982年にロヒンギャがミャンマー国籍を剥奪されてからずっと、ミャンマー人は学校教育の中でロヒンギャという民族はないと教育されている。「このため自分たち(ヤンゴンの人たち)がロヒンギャと対立しているという意識さえない。問題を解決しようとする人もいない」と木村氏は危惧する。
ヤンゴンでも、ムスリム全体が差別されているわけではない。「ヤンゴンに住んでいるビルマ族のムスリムは蔑視されていない。宗教差別と地域差別の両方が複合した問題だ」と木村氏は言う。
ノーベル平和賞受賞者のアウンサンスーチー国家顧問はロヒンギャ問題に無関心なわけではない。同氏は2016年8月に諮問委員会を立ち上げ、コフィ・アナン元国連事務総長を中心に1年かけてロヒンギャ迫害問題を調査し、2017年8月24日に最終報告書を発表した。報告書では「ロヒンギャ」という言葉は出てこないが、「ラカイン州ムスリム」の移動の自由を認める、ラカイン州で生まれたムスリムにはミャンマーの国籍を認めるという2点が提言されている。
多くのロヒンギャも報告書の内容を歓迎した。ところがその翌日(8月25日)にアラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)がミャンマー国軍施設や警察を相次いで襲撃した。これに対する報復として、現在まで軍による掃討作戦、警察による殺害、暴行、家屋放火が続いている。ARSAは2012年のロヒンギャ迫害に対抗して結成されたロヒンギャの武装勢力で、その実態は謎が多い。「なぜこのタイミングでARSAが軍や警察を襲撃したのか、非常に疑問だ」と木村氏の質問にキャンプに住むロヒンギャ難民たちも口をそろえる。
■バングラに逃れたのは54万人
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の発表によると、8月25日から10月13日までで約54万人のロヒンギャが難民となってバングラデシュの難民キャンプに逃れてきた。難民の数が多すぎて、食料配給に必要な難民登録も、テントの支給も遅れ、キャンプにたどり着いても食べるものも住むところもない人たちであふれている。「過去に取材した他のアジアの国や旧ユーゴの難民キャンプと比べ、人の多さに圧倒された」と木村氏は話す。
難民キャンプの入り口では、バングラデシュ軍の兵士たちが警備をしている。主に子供の誘拐と、イスラム国(IS)などのテロリストの勧誘員の侵入を防ぐためだ。木村氏は、難民の子どもを連れ去ろうとした犯人がバングラデシュ軍に捕まるのを目撃した。ロヒンギャの難民は「自分たちの国であるミャンマーの軍に襲われて逃げてきて、よその国のバングラデシュ軍に助けられている」と自嘲的に話したという。