給料の4割を家族に仕送りするタイで出稼ぎ中のミャンマー人女性、「今すぐ故郷に帰りたい!」

ミャンマー南東部のダウェイからタイ・マハチャイへ出稼ぎ中のアウンさん(仮名)。ミャンマーの伝統衣装「ロンジー」を着て、出稼ぎ労働者を支援するNGOマイグラント・ワーカー・ライツ・ネットワーク(MWRN)の事務所の前に立つミャンマー南東部のダウェイからタイ・マハチャイへ出稼ぎ中のアウンさん(仮名)。ミャンマーの伝統衣装「ロンジー」を着て、出稼ぎ労働者を支援するNGOマイグラント・ワーカー・ライツ・ネットワーク(MWRN)の事務所の前に立つ

ミャンマー南東部の都市ダウェイで生まれたアウンさん(仮名、33)は2年前から、タイ中部のサムットサコーン県マハチャイに一人で住み、働き詰めの生活を送る。イワシの加工工場で週6日働く彼女は毎月、給料の4割をダウェイで暮らす母・妹・3人の子どもに仕送りする。「タイでの日々は楽しみがなく、つまらない。けれど、故郷で家族と一緒に暮らすため今はタイで働かなくては」と語る。

アウンさんは、実はタイで生活して18年が経つ。両親の離婚をきっかけに、母、妹と3人でマハチャイに出稼ぎにきた。二十歳になる前に、そこで出会った同じ出稼ぎ労働者のミャンマー人男性と結婚。3人の子どもをもうけた。だが子どもたちにはミャンマーの学校教育を受けさせようと、小学校に上がる前に、ダウェイで暮らすいとこと祖母に預けた。夫とは2013年に離婚。妹と年をとった母は2017年に仕事を辞めてミャンマーに戻った。妹はミャンマーで母を介護することに。この時からアウンさんのタイでの一人暮らしが始まった。

「3人の子どもとタイで一緒に暮らそうとは思わない」。週6日朝8時から夜7時まで働くアウンさんはこう言い切る。理由は、子どものために割く時間が十分にないこと、さらに「ダウェイの言葉や伝統文化を学ぶためにも、子どもたちにはタイではなくミャンマーで母親や妹と暮らしてほしい」からだ。ただいずれ故郷ミャンマーで子どもたちと暮らしたいと願う。

とはいえミャンマーで暮らす子どもと縁が切れたわけではない。仕事が終わる夕方にはフェイスブックのチャット機能を利用して、ほぼ毎日子どもたちと連絡をとるという。子どもの誕生日にはなるべくミャンマーに戻り、寺で一緒に参拝する。

アウンさんはまた、仕送りとは別に、給料の3割を子どもたちの大学進学費用として毎月貯金している。余った給料(3割ほど)は自分の生活費に充てるが、生活は苦しく1日3回食事をするのがやっと。同僚と外食したり、自分の趣味に使うお金はゼロだ。同僚以外の人と接する機会はほとんどなく、朝食と夕食は毎日一人で食べる。「タイの生活で楽しみはまったくない」とアウンさんはつぶやく。

母と妹はミャンマーで小さな日用品店を営む。だがその収入は不十分。アウンさんからの月初めの仕送りが頼りだ。送金方法は銀行経由。生活費や3人の子どもの学費をそれでまかなう。アウンさんは、長男が大学を卒業してお金を稼ぐようになったらすぐにミャンマーに戻り、家族と暮らすつもりだ。自分の貯蓄と長男の収入を残りの2人の子どもの学費に充て、3人全員に大学を卒業させるのが夢。「子どもたちには(私のようにタイで出稼ぎするのではなく)自分のやりたいことを好きな場所でやってほしい」とアウンさんは期待を膨らませる。

しかし不安も拭い去れない。「長男が十分な収入を得られるかどうかはわからないし、自分の貯蓄が足りないかもしれない」(アウンさん)。長男は今14歳。大学を卒業するまでにあと8年かかる。

アウンさんのタイでの生活はまだまだ先が長そうだ。彼女が出稼ぎを終えるころのダウェイの景色は、昔と大きく変わっているのは間違いない。母国へ帰国したとき、彼女は本当に幸せな第2の人生を送れるのだろうか――。