日本の技術を母国で生かす! 横浜国大で土木を学ぶアジアの留学生たち

チン・ティ・タオさん(右)と母。故郷のベトナム・タインホアで撮影チン・ティ・タオさん(右)と母。故郷のベトナム・タインホアで撮影

「日本で学んだ技術を母国で生かしたい」。こう口をそろえるのは、交通システムや都市計画を横浜国立大学で学ぶベトナム人、モンゴル人の留学生だ。母国のバイクで大渋滞する道路、子どもが歩きにくい街を変えたいという。

ハノイっ子にバスを使ってほしい

ベトナム北中部のタインホア出身のチン・ティ・タオさん(22歳)は農村で生まれ育った。農村の若者の多くは都会へ働きに出ていく。なかには、アジアの先進国・日本に憧れをもつ人も多かったという。

ベトナムには日系企業が多く進出する。外務省が発行する「海外在留邦人数調査統計2018年版」によると、その数は1816社。「日本語が話せると待遇が良い仕事に就けるチャンスが増える」と考えるベトナムの若者は少なくない。

「農村出身でも、親せきなどからお金を借りて、日本に留学する人は増えている」とタオさん。留学に必要な資金はおよそ150万円。この金額には、ベトナムと日本での日本語学校の授業料、留学ビザの取得料、仲介手数料が含まれる。

タオさんは高校生のとき、信頼できそうな日本への留学ルートを知り、留学を決意した。高校を卒業した後、日本への留学経験があるベトナム人がホーチミンに設立した日本語学校に入学。日本語を学び始めてから半年後、日本に降り立った。初めての海外だった。

「驚いたのは、都会の街並み、きれいな道、次から次に来る電車。故郷とは全然違った」

タオさんの故郷から近い首都ハノイでは、バイクに乗れば20分で着く場所に、バスで行くと1時間かかる。バイクが道路にあふれ、大渋滞を生むからだ。そんな状況を見てきたタオさんは今、どうすればベトナムの人が移動手段をバイクからバスに変えてくれるかを横浜国大で研究中だ。

「バスの技術(質)はハノイも悪くない。だけど、交通手段として使おうとする人がとても少ない。乗り継ぎのしやすさなど、サービスをどう変えればいいかを考えている」

タオさんは日本の会社に入り、現場で経験を積んだ後、帰国してベトナムのために働きたいという。日本語を話せれば良い仕事に就けるという高校時代の“自分中心の夢”は大きく変わった。

「故郷の交通の便を良くしたい。そうすれば農村に残って働く若者も増えてくれると思う」

■街を変えることで住民の意識も変えたい

モンゴル西部のホブド県出身のビャンバドルジ・ブヤントゴトホさん(22歳)はモンゴルで生まれた。4~12歳の8年間は札幌に住んでいたという。ブヤントさんの母が北海道大学獣医学部に留学していたからだ。母の博士課程修了とブヤントさんの小学校卒業のタイミングが重なり、モンゴルへ帰国した。

「(モンゴルの首都である)ウランバートルは道の整備が不十分。車の運転手のマナーも悪い。小さな子どもだけで歩かせるのは危険だから、自分がいつも弟と妹の送り迎えをしていた。日本ではそんな必要はなかったのに」。こう話すブヤントさんは、モンゴルと日本での生活の違いから、土木に興味をもつようになった。

ウランバートルの高校を卒業し、再び日本に戻ってきたブヤントさん。横浜国大では、都市の活性化をテーマに研究中だ。このテーマを選んだのには、ウランバートルならではの事情がある。

モンゴルは1991年、社会主義から民主主義の国家へと変わった。これに伴い、「子どもにはブルーカラー(遊牧民)ではなく、ホワイトカラーの仕事をしてほしい」とウランバートルに定住する人が増えた。「もともと遊牧民だった人たちは、みんなで地域を盛り上げようとはあまり考えない」とブヤントさんは説明する。

出身地や価値観がバラバラな人が集まるウランバートルを、住民みんなが愛着をもてるようにできないか。ブヤントさんは、歩きやすい空間や快適な交通システムなどに注目し、そのヒントを探している。「きちんと整備されずに、忘れ去られた身近な道路を見直すところから、都市を変えていきたい。都市の形を変えることで、ウランバートルに住むひとりひとりの意識まで変えていけたらいいなと思っている」

ビャンバドルジ・ブヤントゴトホさん(左端)と家族。モンゴル中部のウブルハンガイで撮影

ビャンバドルジ・ブヤントゴトホさん(左端)と家族。モンゴル中部のウブルハンガイで撮影