戦後74年経っても「日本のアジア蔑視は続いている」、日本軍の華人虐殺を調べる高嶋伸欣名誉教授

「戦争の傷跡を学ぶマレー半島の旅」でスンガイ・ルイ追悼碑について解説する高嶋さん(鈴木晶撮影)「戦争の傷跡を学ぶマレー半島の旅」でスンガイ・ルイ追悼碑について解説する高嶋さん(鈴木晶撮影)

「(日本人には)脱亜論の考えから抜けてほしい」。第二次世界大戦中にマレーシアで起きた日本軍による華人虐殺を1970年代から調査してきた高嶋伸欣琉球大学名誉教授(75)は、終戦から74年が経過してもなお、日本のアジア蔑視思想は変わらない」と指摘する。

■侵略か、進出か

マレーシアでの調査を高嶋さんが始めたきっかけは、1977年にマラッカを訪れたことだった。駆け出しの高校教師だった高嶋さんは、地理の授業の研究のためにゴム園やスズ鉱山などを回っていた。

昼食をとろうとマラッカ州郊外にある農村の食堂に入った。すると年配の店員に尋ねられた。「戦時中に日本軍がこのあたりで大勢の住民を殺したのを知っているか」

「知らない」と答えたところ、その店員は車でマラッカ市内の追悼碑まで案内してくれた。このときの経験が原点となり、以後、毎年8月には現地調査に足を運ぶようになった。

日本人を対象に、追悼碑などを巡る「戦争の傷跡を学ぶマレー半島の旅」を始めたのは1983年。その前年に歴史の教科書検定で、日本のアジアへの「侵略」を「進出」と書き換えた問題が起きた。社会科教師の間で「現地を見よう」という機運が高まった。そこで教師仲間とともに第1回目のツアーを敢行した。

2019年で45回目を数えるツアーにはリピーターも多い。「一度参加しただけでは、『あれはどういう意味だったのかな』なんて考える時間はない。土地勘がついたからまた来ようという人も多い。4回目、5回目という人も数人いる」。教師だけでなく、学生や現地滞在者の参加も増えてきた。

■虫けらのように殺す

ところが現地で調査するには多くの困難が待ち受けていた。合わせて100回以上のマレーシア訪問では、「日本人が何しに来たのだ」と罵られたり、殴られそうになったり、石を投げられたりしたことも。そうしたなかでも現地に何度も足を運び、信頼関係を築いてきた。

日本で講演したり著書を出したりしても多くの批判を受けた。インターネット上では「おまえは何であっち(マレーシア)側の肩をもつんだ」「ほんとは日本人じゃないんだろう」「そういう人は日本を出てってください」といった罵詈雑言の嵐にさらされた。ネットでの書き込みを見た学生から「先生、ひどいもんですよ。見ない方が良いですよ」と心配されたこともあったという。

「戦争の傷跡から学ぶ」活動が報われたのは2019年8月。高嶋さんは、現地の華人団体から「第2回アジア平和賞」を授与された。

受賞スピーチで高嶋さんは、虐殺の遺族から問われた言葉を紹介した。「家に帰れば優しい父や兄や夫であるはずの日本兵が、なぜ私たちの家族を虫けらのように殺せたんですか」。この問いにみられるようなアジア蔑視の認識を次世代に残したくない、と高嶋さんは今後も活動を続けていく。

■福沢諭吉がなぜ1万円札

マレーシアは、財団法人ロングステイ財団の調査で、13年連続(2006〜18年)で日本人が住みたい国「世界ナンバー1」に選ばれた。戦争の歴史を意識せずにマレーシアとかかわる人が増えるなかで、高嶋さんは脱亜論的な考え方を払しょくする重要性を指摘する。

「日本は真剣に戦争の総括をしなかった。だから平気で脱亜入欧を唱えた福沢諭吉を1万円札に使っている。アジアの知識人でそういう事情を知っている人は、1万円札に福沢諭吉を使っている間は日本人を信用しない、という人もいる。日本人は、実はアジアの人から厳しく見られていることを認識すべき」

教育現場、政府、法廷、学会、メディア。アジアを蔑視する認識は幅広く影響力をもつ。根深い問題だと高嶋さんは言う。「これからも若い世代が『大人よ、もっとしっかりしろ』と言えるような土壌を学校で作っていきたい」

「第2回アジア平和賞」で受賞スピーチをする高嶋さん(鈴木晶撮影)

「第2回アジア平和賞」で受賞スピーチをする高嶋さん(鈴木晶撮影)