西アフリカ・ベナンの公立学校で数学教師として働くホングロボ・ザンノウ・ガストンさん(41歳)のもうひとつの顔は、コピー屋の店主だ。大学を2006年に卒業したあと就職できなかったため、コピー屋を始めた。「家族を養うにはコピー屋の収入だけでは不十分」とホングロボさん。2008年から、コピー屋と教師の二足のわらじを履く。
■奨学金でコピー機を購入
ホングロボさんが「コピー屋は稼げるかも」と考えたのは、高校時代に遡る。友人や教師が教科書やテストをたくさんコピーしているのを見て、ひらめいたという。アボメカラビ大学を2006年に卒業したあと、20万CFAフラン(約3万6000円)で購入。アボメカラビにある自宅にコピー機を置いた。
「僕は大学の奨学金として1年40万CFAフラン(約7万1500円)を2年間もらっていた。それを貯めていた。友人は高い服や飲み代に散財していたけど‥‥」
コピー屋の1カ月の収入は、少ないときで5万CFAフラン(約8900円)。多いときは20万CFAフラン(約3万6000円)にのぼる。従業員を月給6万CFAフラン(約1万700円)で雇っているため、手元に残る金額はさほど多くない。
コピーにやってくる顧客は平均20人。コピー1枚の料金は10CFAフラン(約1.7円)だ。以前は15CFAフラン(約2.6円)だったが、「最近はコピー屋を営む人が増えた。私の自宅付近にもコピー屋は10軒ある。競争が激化したから値下げした」とホングロボさんは言う。
■第3の仕事を始めたい
ただ、コピー屋からの収入だけで妻と子ども3人を養うのは困難だ。そのためホングロボさんは2008年に、アボメカラビの近くの街ソアバにある中学・高校で数学の教師の仕事に就いた。
「お金のために仕方なく始めた。あんまり好きではないけれど」と漏らすホングロボさん。火~金曜日の週4日働いて月給は12万1000CFAフラン(約2万1600円)だ。
勤務時間は朝7時から昼ごろまで。授業の準備に毎日2時間ほどかかるが、日本の中学・高校教師のように部活動の顧問をやる必要はない。そもそもベナンの公立学校に部活はないという。教師にとっては副業しやすい環境にある。学校から自宅までバイクで20分ほどと通勤時間が短いのも二足のわらじをはきやすくさせる。
ホングロボさんが目指すのは二足のわらじを超えて、収入源をもっともっと増やすことだ。「私の父は、6人の妻と17人の子どもがいた。常に貧乏だった。だから私は、妻は1人と決めている。貧しさから少しでも脱却するために、収入源を増やしたい」
コピー屋、教師に続く“第3の仕事”としてホングロボさんが考え中なのは、パソコンやコピー機を中国から輸入し、ベナンで販売すること。コピー機の場合、10万CFAフラン(約1万8000円)で仕入れ、20万CFAフラン(約3万6000円)で売れるという。
■ガンビエ屈指のエリート
ホングロボさんは、実は、貧しい人が多く暮らす水上都市ガンビエの出身だ。ガンビエの男性の8割は漁師といわれる。ホングロボさんの父も漁師だった。ガンビエに住む男性のほとんどは幼いころから漁師の手伝いをし、そのまま漁師になる人も多い。
ホングロボさんは高校時代、ガンビエで上から3番目に入るほど優秀な成績の持ち主だったという。ベナンの東大といわれるアボメカラビ大学に進学し、会計を専攻した。2018年には修士号もとった。ガンビエ出身で、大学院まで出た人は珍しい。ガンビエ屈指のエリートだ。
「勉強は、自分の強みを増やすことができる。強みを生かすために教師になった。結果として、それが収入源を増やすことにつながった」とホングロボさんは胸を張る。