伝統を守るために伝統を壊す! 「ビルマの竪琴」の一貫製作に挑む親子

竪琴職人のチッテーさん(左)と息子のミョーナインウィンさん竪琴職人のチッテーさん(左)と息子のミョーナインウィンさん

ミャンマー(ビルマ)最大の都市ヤンゴンの郊外にひっそりとたたずむ小さな工房。カタカタと音を立て、足踏み式の機械を操作して楽器の部品に装飾を施しているのは見習い職人のミョーナインウィンさん(24)だ。この道30年近くになる父親のチッテーさん(46)が、無言で息子の手に自分の手を添える。ビルマの竪琴「サウン・ガウ」作りの伝統を守るため、新たに一貫製作に取り組む親子を取材した。

■工房が激減、国内4カ所のみに

伝統楽器サウン・ガウの歴史は1200年以上前のピュー時代までさかのぼる。かつてはきらびやかな王宮の舞台で奏でられ、神話にもたびたび登場するその楽器の音色はミャンマー人の心を揺さぶる音そのもの。演奏する人も多くいた。

ところが外国の音楽が入り込んで来てからは「人気の弦楽器」の座をすっかりギターに奪われてしまう。サウン・ガウの演奏者は近年、減少の一途をたどっている。ひと昔前までマンダレーやヤンゴンに多く存在していたサウン・ガウの製作工房もいまや、ミャンマー国内に4カ所のみだ。

ただサウン・ガウの工房が少なくなった原因はギター人気のせいだけではない、とチッテーさんは考える。

「サウン・ガウを作る工程は伝統的に分業制。私のように全工程をこなせる職人はかなり限られているんだ。1つの工程をマスターするだけで何年もかかるうえに、一人前になっても1カ月に18万チャット(約1万4000円)ほどしか収入は得られない。そんなことだから、この道を選ぼうと思う若者はほとんどいないんだよ」

チッテーさんがサウン・ガウ作りの道に入ったのは18歳のときだ。工房が担っていたのはサウン・ガウの土台作りのみ。チッテーさんは5年かけて土台作りの技術をマスターした。

工房で働く中でチッテーさんは「分業制に固執していたらいずれ作り手がいなくなる。サウン・ガウ作りが途絶えてしまうのではないか」と危惧し始める。それならば自分が全工程の技術を身につけ、新たなサウン・ガウ作りを次世代に伝えようと一念発起。工房を開く決心をしたという。

ヤンゴンに現在の工房を開いた2008年の時点では、チッテーさんはまだサウン・ガウンの装飾工程をマスターしていなかった。その工程を教えてくれたのはいまなお師匠と慕うヤンゴンの職人だ。ペースト状に練った樹液を指で模様を描くように塗り固めながら、ひとつひとつの飾りを仕上げていく。厳しい修行を経て、その細やかな技術を身につけた。

装飾技術を一から丁寧に教えてくれた師匠は、数年前に亡くなったとのこと。「先人の努力のおかげで、私たちはいま、サウン・ガウを作ることができるんだ。だからサウン・ガウ作りの伝統をしっかり守らなきゃね」と話すチッテーさんの横で、息子のミョーナインウィンさんが静かにうなずく。

■悠久の音色、一貫製作を親から子に伝承

マニュアルがないサウン・ガウ作りは、体で覚えるまでひたすら繰り返して習得するしかない。息子のミョーナインウィンさんの技術の習得はまだまだ道半ばだ。

実は、ミョーナインウィンさんは2019年までプロのサウン・ガウ奏者として活動していた。父の考えに共感し、自らサウン・ガウの一貫製作を受け継ぎたいと弟子入りした。父の技術を早く身につけるため、いまは職人の仕事に専念する。しばらくは演奏の時間がとれなくなくなりそうだ。

ミョーナインウィンさんは言う。

「ミャンマーで古くから奏でられてきた楽器の演奏と楽器の製作は表裏一体だと思う。両方を大切にしたい。いまは製作をがんばる。保守的にならずに新しいデザインのサウン・ガウを生み出して、楽器の美しさと伝統音楽の可能性をもっと追究してみたい」

チッテーさんの工房の入り口には小さな祭壇がある。祀られているのはサウン・ガウの名手といわれる土着神ウーシンジーだ。作業を始める前、きれいに掃除された祭壇に向かい静かに手を合わせる父。その背中を息子がじっと見つめる。

親から子へ、伝統を守るための新しい取り組みが引き継がれていく。祭壇からその様子を見守るウーシンジーは、きっと、両手で抱えたサウン・ガウで優しい喜びの歌を奏でるにちがいない。

チッテーさんと竪琴

チッテーさんと竪琴

竪琴の土台をつくるチッテーさん

竪琴の土台をつくるチッテーさん

祭壇にまつられた土着神ウーシンジー

祭壇にまつられた土着神ウーシンジー