敬虔な仏教国ミャンマーで性教育は許されるか

レイプされた「ビクトリア」のために、ヤンゴンの路上で正義を訴える民衆(Wikimedia Commons)レイプされた「ビクトリア」のために、ヤンゴンの路上で正義を訴える民衆(Wikimedia Commons)

ミャンマーの学校カリキュラムで「性教育」が2020年度から始まる。敬虔な仏教国ミャンマーでは長い間、性的な話題はタブーとされ、わいせつな雑誌も法律で禁止。だが近年は、性犯罪が増えたことで、性教育の必要性が広く認識され始めた。保守的な価値観との間で摩擦が生じるなか、5月、性教育を「伝統に反する恥ずべきこと」と批判した僧侶を、医師がフェイスブックでこき下ろし、宗教を冒涜した罪で逮捕される事件も起きた。

■僧侶がハゲ呼ばわり

冒涜罪で捕まったのは、チョウウィンタン医師(31歳、男性)。性教育に反対する一部の僧侶らを、強烈な言葉で批判した。「僧侶は性教育を受けたことがない。普通の人と同じように、隠れてポルノを観るし、売春宿にも行く。そんな奴らが性教育の是非を判断できるのか」

批判はさらに、僧侶あり方そのものにも及んだ。「彼らは健康な男性なのに、他人の稼ぎで暮らし、社会に貢献していない」。またフェイスブックへの投稿の中で、僧侶を「ハゲ坊主」などと呼び、蔑んだ。

これに激怒したのは、僧侶だけではなかった。ミャンマーの仏教徒らは、一連の投稿のスクリーンショットをまたたく間に拡散させ、炎上させた。

追い詰められた医師は、投稿の2日後に寺を訪れ、謝罪の儀式をおこなった。現場には数百人の仏教徒が押しかけ、医師を激しく糾弾。そのようすを撮影した動画には、その場にいた警官に、仏教徒らが「彼を逮捕しないなら、私たちを撃て」などと叫ぶ姿が映っている。

医師はこの後、1年9カ月の禁固刑を言い渡された。

■「セックス」「月経」は禁句?

この事件の根底にあるのは、かねてからあった「性教育」と「ミャンマーの伝統的価値観」の対立だ。報道によると、性教育の導入にあたっては、事件が起きる前からインターネット上でさまざまな意見が飛び交っていたという。

NGO職員など複数のミャンマー人に聞いたところ、性教育に対する戸惑いの声は少なくない。ヤンゴンで働く会計士で、仏教徒の男性アウンウィンさん(41歳)は「頭では性教育は大切だと理解している。でもミャンマーの伝統的価値観に性的な話題が合わないのもわかる。これは(頭ではなく)マインドセットの問題だ」と話す。

ミャンマーの町なかでは、ポルノ雑誌やグラビア写真など、性を連想させるものはまず見かけない。法律が禁じているからだ。軍政下の1962年に制定された印刷出版社登録法は、あらゆる出版物を検閲対象としていた。性的な要素のある出版物も発行は許されなかった。

民政移管後の2014年には新しいメディア法が制定され、検閲はなくなった。だが5年ごとに更新する出版ライセンスは、ポルノとみなされる出版物を出したり、宗教を冒涜したりした場合、取り上げられる。

2017年には国内でポルノビデオを300ドル(約3万2000円)で製作・販売しようとした会社があった。だが警察は即座に捜査に乗り出し、業者を特定。「国のイメージが悪化する」としてフェイスブックページを閉鎖させた。ビデオが市場に出回ることはなかった。

こうした環境で生まれ育ったミャンマー人は、性に関する単語にさえ敏感だ。中高生への性教育について英語で話す場合は「セックス・エデュケーション」より「アドレッセント・ヘルス(思春期の保健)」という言い方が好まれる。また「月経」も「女性の衛生」などと言い換えることが多い。

■僧侶は「尊敬される人」

性教育と対立するミャンマーの伝統的価値観には、人口の約9割が信仰する上座部仏教が大きな影響を及ぼす。だが仏教の教えは本来、性に関することを否定しているのだろうか。

実は仏教は、性的なものすべてを禁じているわけではない。性はすべての人の生殖にかかわるもので、生老病死の一環でもあるからだ。

性教育カリキュラムの導入を批判した僧侶らについても、地元紙は実際、「愛国主義者の」や「保守的な」という枕詞をつけて報道している。あくまで一部の僧侶であることを強調しているためだ。

しかし否定されていないとは言え、出家した僧にとっては禁止されているに等しい。修行のためにはあらゆる欲を絶つことが求められるからだ。在家の仏教徒は結婚や性行為に制限はないが、ひとたび出家すれば女性に触れることも許されない。

こうした掟に従って生きる僧侶は、仏教の体現者としてミャンマー国民から尊敬される。町のいたるところにある仏教徒の集会場からは、時には夜明け前からスピーカーを通して読経の声が響く。家でも説法が聞けるよう、仏教専門のテレビチャンネルまである。こうした暮らしをする人たちが、僧侶に悪影響を与えるものを避けようとするのはうなずける。

■レイプから女子を守れ!

性教育への意識を高めたのは、若きインフルエンサーらだ。ミャンマーで最も有名なのは、ピョーティーハ医師(男性)。2012年に医大を卒業したあと、性と生殖・家族計画の専門家として活動してきた。自身のウェブサイトやフェイスブック、ユーチューブなどを駆使して、性に関する正しい知識や、カップルが性について話し合う大切さやコツなどを発信する。

ピョーティーハ医師が働いていた米国系NPO「dktインターナショナル」は2017年、性教育について調査した。対象は、ミャンマー全土の18~49歳の独身の男女計1000人。性教育を「重要」と答えた人は96%に上った。

この調査ではまた、初体験で避妊具を使ったのは48%であること、60%の回答者が避妊は主に女性の責任と考えていることなど、性の知識が乏しいことも明らかになった。

性教育の実現を後押ししたのは、ミャンマー各地で増え続けるレイプ事件だ。地元紙イラワジが引用した政府のデータによると、国内のレイプ件数は2016年の1100件から、2018年は1500件へと1.4倍に増えた。被害者の3分の2は未成年という。

「報道されていないケースも山ほどある。レイプはミャンマー中いたるところで、いつでも起きている」。ヤンゴンのNGOで働くメイニンピュー医師(41歳、女性)はこう懸念する。

2019年5月には首都ネピドーで2歳11カ月の女児がレイプされるという衝撃的な事件も起きた。誤った人物を当初逮捕した警察に対し、真犯人と目される警察幹部の息子をかばっているのでは、と国中で激しい批判が巻き起こった。

2歳11カ月の被害者は「ビクトリア」と名付けられ、インターネット上はもとより、全国各地の路上で「ジャスティス・フォー・ビクトリア」を合言葉とするデモが行われた。これは警察に対して徹底捜査を要求するだけでなく、子どもや女性への性暴力をなくすことを求める大きなうねりとなっている。

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