クーデターに怒りを燃やすミャンマー市民、インターネットで国軍に立ち向かう!

クーデター当日(2月1日)の夕方。一見すると、いつもと変わらない穏やかな光景だクーデター当日(2月1日)の夕方。一見すると、いつもと変わらない穏やかな光景だ

「カンカンカン」

クーデターの翌日(2月2日)夜8時。ミャンマーの最大都市ヤンゴンで突然、金属音が響き始めた。窓を開けると、近隣アパートの住民らが一斉にアルミの皿などを叩いている。クーデターで国家権限を掌握したミャンマー国軍が発した夜間外出禁止令の開始時刻にあわせた、市民による非暴力の抵抗だ。シュプレヒコールもプラカードもない。国軍が政権を奪ったことで、言論の自由が事実上失われたからだ。クーデター後も穏やかだった街に、初めて鳴り響く抗議の音だった。

はらわたが煮えくり返る

こうした市民の抵抗活動は、インターネットを通して呼びかけられ、拡散されている。使われるのは、ミャンマーのスマホユーザーのほぼ全員が利用するフェイスブックだ。ヤンゴンの様子は、一見すると何事もなかったかのように平和で穏やかだが、フェイスブック上ではミャンマー市民の怒りの炎が燃え広がっている。

「どんなにはらわたが煮えくり返っても、それを実際の行動で示すことはできない」。そう話すのは、ミャンマー第2の都市マンダレー出身のウーテットゥン氏(仮名、57歳)。もし反軍政のデモなどをすれば、国軍に武力制圧の口実を与えてしまうからだ。

「私たちはミャンマーが民主化するまで(1962~2011年)、軍事独裁政権の下で生きてきた。奴らのやり方は嫌というほど知っている」とウーテットゥン氏は吐き捨てる。

「僕らがやるのはデモじゃない。インターネットで闘うんだ」。ミャンマー東部のシャン州に住むサイカンアウン氏(仮名、38歳)はこう主張する。

その理由は、軍に拘束されたアウンサンスーチー国家顧問をはじめ、辛くも拘束を免れたミンコーナイン氏(スーチー氏と並ぶミャンマー民主化運動の指導者)など、著名な民主活動家たちが徹底して非暴力を説いているからだ。

ミンコーナイン氏は当初、スーチー氏らとともに国軍に拘束されたと考えられていたが、2月2日、亡命先で動画を撮影。武力ではなくオンラインやポスター、ステッカーなど、平和的な手段で闘おうと呼びかけた。

国軍の罠にはかからない!

ただフェイスブックでの呼びかけにも注意が必要だ。サイカンアウン氏によると、抵抗活動を呼びかける投稿の中には、国軍がしかけた罠もあるという。国軍やその支持者が偽の反軍政デモなどの情報を流し、集まった市民を捕えるというのだ。

「僕は必ず発信者のプロフィールを確かめる。これは、かつて僕たちが軍政下で生き抜いてきた経験と知恵なんだよ」(サイカンアウン氏)

クーデターの当日(2月1日)、国軍は電話やインターネットの回線を遮断した。だがこれらは数時間で回復した。インターネットの遮断が短時間で終わった理由は2つ考えられる、とサイカンアウン氏は言う。

1つ目は、インターネットが一切使えない状況はさすがに国際社会が許さないだろうという見方。もう1つは「僕らがオンライン上で盛り上がって、ボロを出す(武力行動を起こす)のを待ち構えているのでは」という推測だ。国軍への警戒心は強い。

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