【闘うカレー活動家・保芦ヒロスケさん①】レトルトのミャンマーカレーを開発! 目指すは両国つなぐフードアンバサダー

ヤンゴンにあるシュエダゴンパゴダの前でお祈りする保芦さん。保芦さんは2011年に初めてミャンマーを訪問。2016年に移住した(保芦さん提供)

ミャンマーで軍事クーデターが起きてからもうすぐ2年となる2023年1月28日。京都市内の河原町交差点でひときわ大きな声を上げ、ミャンマーへの寄付を訴える男性がいた。ミャンマーのレトルトカレーを販売する会社「HIRO TOKYO」(本社:東京・吉祥寺)の代表で、ミャンマー料理の研究家でもある保芦ヒロスケ(52)さんだ。

アウンサンスーチー氏と握手

保芦さんが初めてミャンマーを訪れたのは2011年の2月。「ミャンマーほど異国を感じた国はない」という友人の言葉がきっかけだった。

ミャンマーの最大都市ヤンゴンに降り立った保芦さん。驚いたのは街の活気だった。ミャンマーでは当時、半世紀近くに及ぶ軍政から民政移管される直前。ミャンマーの人たちは民主主義の到来を待ちわびていた。

保芦さんはそんな中、ある人の写真が街中に飾られてあるのを目にする。アウンサンスーチー氏だ。アウンサンスーチー氏は2010年11月の総選挙の際は自宅軟禁中で、出馬を認められなかった(NLDは選挙をボイコットした)。

だがアウンサンスーチー氏は投票日の6日後(2010年11月13日)、軟禁から解放される。「アウンサンスーチーさんの解放とともに、『これから俺たち(ミャンマー人たち)も自由になるんだ』という活気が国中に満ちあふれていた」と保芦さんは当時を回想する。

観光ビザが切れるため一度、ミャンマーを離れた保芦さん。だが人々が放つエネルギーのすごさを忘れられず、またすぐにミャンマーに舞い戻ってきた。

向かった先は、アウンサンスーチー氏率いる政党「国民民主連盟(NLD)」の事務所だった。エネルギーの根源をこの目で見たかったからだ。

ミャンマー国民から絶対的な支持を得るNLDだが、事務所はとても小さく、閑散としていた。

「ここがNLDのオフィスなのか」

守衛に尋ねると、そうだと言う。今日は何のイベントもないから、明日来いとアドバイスされた。

次の日、事務所をまた訪ねてみた。するとそこには人だかり。集会なのだろうか。NLDの支持者が集まり、みんな興奮したようすだ。

ほどなくしてその理由がわかった。事務所の2階からアウンサンスーチー氏が降りてきたのだ。ガードマンに囲まれ、車に乗り込んでいく。保芦さんは「あなたに会うために日本からやってきたんだ」と大声で叫び、アウンサンスーチー氏が乗った車に駆け寄った。

ガードマンに止められるかもと思ったその瞬間、車のドアが開きアウンサンスーチー氏が手を差し伸べた。保芦さんはアウンサンスーチー氏と握手。周りにいたミャンマー人たちはそれを祝福してくれた。

それからというもの、保芦さんはミャンマー人のやさしさに引き込まれていく。保芦さんはその後、ベンガル湾に面するチャウンダービーチ(エーヤワディー管区)を訪れた。そこでNLDの赤いバナーを掲げていた宿を発見。アウンサンスーチー氏と握手したと告げると、宿のオーナーは「同志よ!」と保芦さんを招き入れ、2人で夜通し酒を飲んだ。

「それ以外にも宿のオーナーは僕をNLDの集会に招いてくれたり、街宣車に乗せてくれたり。ミャンマー人は僕を歓迎してくれた。ミャンマーのことが大好きになった」

国民民主連盟(NLD)の事務所で保芦さんは偶然、アウンサンスーチー氏と遭遇した。声をかけると車のドアを開けて、握手してくれた(保芦さん提供)

国民民主連盟(NLD)の事務所で保芦さんは偶然、アウンサンスーチー氏と遭遇した。声をかけると車のドアを開けて、握手してくれた(保芦さん提供)

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